「シク教」の版間の差分

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ヒンドゥー教が生来から帰依するものであるのに対して、シク教は[[改宗]]宗教であることから、[[異教徒]]やインド人以外に対しても[[布教]]が行われる。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]にも教徒がいる。
 
教徒はインド全域に分布しているが、特に総本山ハリマンディルの所在地である[[パンジャーブ|パンジャーブ地方]]に多い。とくにインドの[[パンジャーブ州 (インド)|パンジャーブ州]]ではインド国内のシク教徒の約4分の3、州人口の59.9%(2001年)<ref>「世界地誌シリーズ5 インド」p89 友澤和夫編 2013年10月10日初版第1刷 朝倉書店</ref>を占め、多数派となっている。信徒数は約23002400万人、日本には約10002000人ほどが居住していると思われる。
インドでは少数派でありながら社会的に影響力のある宗教集団である。[[ムガル帝国]]時代に武器を持って戦っていたためともされるが、技術的な事項に強い者が多く、インドのタクシー運転手にはシク教徒が多い。
 
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シク教の[[寺院]]はグルドワーラーと呼ばれ、小規模な寺院はダルバールと呼ばれる。
 
シク教寺院に入るには靴を脱いで頭の上に[[ハンカチ]]をのせて髪の毛を隠さなければならない。これはターバンを巻くカールサーのメンバーへの配慮と思われる。グル・グラント・サーヒブを歌い、1時間程の[[礼拝]]の後にカラーパルシャードと呼ばれる砂糖菓子がふるまわれる。また、神前の[[供物]]を恭しく食べるが、これは日本で[[神社]]・[[仏壇]]の供えものを有難く頂戴するのと同種の[[習慣]]である。さらにランガルと呼ばれる食事が皆に振舞われる。これは無料で、内容は[[インド料理]]([[チャパティー]]、[[パコラ]]、[[ヨーグルト]]、[[スープ]])である。これは[[ヒンドゥー教徒]]のバラモン階層が[[カースト]]が違う者と食事を共にしないことに対する批判あてつけである。
 
日本にあるシク教寺院としては、兵庫県[[神戸市]][[中央区 (神戸市)|中央区]]野崎通2-7にグル・ナーナク・ダルバールがある。礼拝は毎週日曜日の午前11時半頃より行われ、午後21時頃に昼食が終わる。神戸市バスで三宮から2番または16番に乗り野崎通2丁目のバス停で降り坂を下った所にある。
 
日本シク教団 w7912036@pio.jp
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パンジャブ州分割後、アカリ・ダルは[[ヒンドゥー至上主義]]の{{仮リンク|インド大衆連盟|en|Bharatiya Jana Sangh}}(ジャナ・サンガ)と連立して1967年に州政権を奪取したが、1971年には国民会議派に敗れ下野した<ref>「インド現代史1947-2007 下巻」p241 ラーマチャンドラ・グハ著 佐藤宏訳 明石書店 2012年1月20日初版第1刷</ref>。1977年には再びこの連立が州の与党となり、彼らはハリヤーナー州と共用していた州都[[チャンディーガル]]のパンジャブ州編入や水利権などの要求を中央政府に行った<ref>「インド現代史1947-2007 下巻」p242 ラーマチャンドラ・グハ著 佐藤宏訳 明石書店 2012年1月20日初版第1刷</ref>。しかしこの交渉が難航するなか、1970年代後半には急進派宗教指導者である[[ジャルネイル・シン・ビンドランワレ]]が台頭して、シクの分離主義が急速に強まった。1980年代に入るとシク急進派は反対派に対するテロを頻発させるようになり、パンジャブの治安が悪化。これに対しインド政府は1983年10月にパンジャブ州を州政府から大統領直接統治下に移した<ref>「インド現代史1947-2007 下巻」p247 ラーマチャンドラ・グハ著 佐藤宏訳 明石書店 2012年1月20日初版第1刷</ref>が情勢は好転しなかったため、1984年にはシク教徒の聖地・黄金寺院にたてこもるビンドランワレと過激派を排除するため[[インド軍|インド政府軍]]を投入して[[ブルースター作戦]](黄金寺院事件)を起こし、6月6日にビンドランワレを殺害した<ref>「インド現代史1947-2007 下巻」p255 ラーマチャンドラ・グハ著 佐藤宏訳 明石書店 2012年1月20日初版第1刷</ref>。
 
この事件はシク教徒の強い反発を招き、1984年10月31日にはシク教徒の警護警官により、[[インディラ・ガンディー]]首相が暗殺された。さらにこの暗殺はヒンドゥー教徒側を激怒させ、インド各地でシク教徒への迫害が行われた<ref>「インド現代史1947-2007 下巻」p259-261 ラーマチャンドラ・グハ著 佐藤宏訳 明石書店 2012年1月20日初版第1刷</ref>。その後もテロの連鎖は続き、1985年6月23日にはシク教徒による[[インド航空182便爆破事件]]が起こった。[[ラジーヴ・ガンディー]]首相は同年7月にアカリ・ダルと合意を行って直接統治を解除し、9月には再びアカリ・ダルの州政府が誕生した<ref>「インド現代史1947-2007 下巻」p267-268 ラーマチャンドラ・グハ著 佐藤宏訳 明石書店 2012年1月20日初版第1刷</ref>がテロの連鎖は続き、1987年には再度州の自治権が取り上げられて大統領直接統治下に戻った。1992年に直接統治は解除されたものの、選出された州首相は暗殺された<ref>「インド現代史1947-2007 下巻」p337 ラーマチャンドラ・グハ著 佐藤宏訳 明石書店 2012年1月20日初版第1刷</ref>。しかしこのころを最後に急進派のテロは沈静化し、パンジャブ州の治安は回復に向かった<ref>「インド現代史1947-2007 下巻」p337 ラーマチャンドラ・グハ著 佐藤宏訳 明石書店 2012年1月20日初版第1刷</ref>。毎日新聞の取材にパンジャーブ警察署長が応じ過激派のシク教徒は全員射殺したという記事がのった
 
毎日新聞の取材にパンジャーブ警察署長が応じ過激派のシク教徒は全員射殺したという記事がのった。
 
=== 平和の回復 ===