「中華思想」の版間の差分

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[[新]]の皇帝の[[王莽]]は、[[前漢]]において夷狄を王に[[冊封]]していた慣習を華夷秩序の観点から改め、[[匈奴]]や[[高句麗]]の王を侯に降格せしめようとしたが、これらの諸国の離反を招いてしまった。
 
=== 夷華同一融合 ===
{{要出典範囲|date=2019年8月|[[西晋]]滅亡後、いわゆる五胡といわれる北方異民族が中国本土に侵入して相次いで国を建て、混血が進んだことから「中華思想を越え、[[中華]]と[[夷狄]]も平等だ」という、[[仏教]]に基づく「夷華同一」という思想も誕生した。}}
 
[[隋]]の[[煬帝]]や[[唐]]の[[太宗 (唐)|太宗]]は中華と夷狄の融合政策を取り、[[唐]]の太宗は930年3月、中華皇帝に加えて四夷の族長たちに推薦された形で[[ハーン]]の位にも即位している。隋唐時代には[[西域]]を主とする異国文化を珍重し、また外国人が宮廷で登用されることも珍しくなかった<ref>後藤多聞『ふたつの故宮』NHK出版</ref>。