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'''ドナルド・ジェームズ・ラーセン'''('''Donald James Larsen'''、[[1929年]][[8月7日]] - )は[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]で活躍した[[投手]]である。右投右打。
 
アメリカ合衆国[[インディアナ州]][[ミシガンシティ (インディアナ州)|ミシガンシティ]]出身。[[ニューヨーク・ヤンキース]]時代、[[1956年のワールドシリーズ]]第5戦(対[[ロサンゼルス・ドジャース|ブルックリン・ドジャース]])で'''[[ワールドシリーズ]]史上初の[[完全試合|パーフェクト・ゲーム]]'''を達成した(2017(2019年現在ポストシーズン唯一の完全試合であり、ワールドシリーズの[[ノーヒット・ノーラン|ノーヒッター]]としても唯一)。
 
==経歴==
{{by|1953年}}に[[ボルチモア・オリオールズ|セントルイス・ブラウンズ]]でメジャーデビュー。「夜遊び」が好きで、このためかなかなか好成績はあげられなかった。翌{{by|1954年}}にチームは[[ボルチモア]]に移転しオリオールズとなったが、この年3勝21敗の成績で[[アメリカンリーグ|ア・リーグ]]最多敗戦を記録。この年のオフ、史上最多の17名が関与した[[トレード]]で[[ニューヨーク・ヤンキース]]に移籍(オリオールズ7人対ヤンキース10人)。ただしこれで行状があらたまったわけではなく、移籍初年度の{{by|1955年}}にはスプリング・トレーニング中に早朝5時に車を電信柱にぶつけている。監督の[[ケーシー・ステンゲル]]は「電報でも出しに行ったんだろう。(時間が)早すぎるというか、遅すぎるというか。」と語っていたという。
 
{{by|1956年}}には自己最多の11勝(7敗)をあげてチームのリーグ優勝に貢献。[[1956年のワールドシリーズ|その年のワールドシリーズ]]はヤンキースと[[ロサンゼルス・ドジャース|ブルックリン・ドジャース]](当時はニューヨーク)の「地下鉄シリーズ」となった。ドジャースの本拠地[[エベッツ・フィールド]]で開幕し、ドジャースがまず連勝。[[ヤンキー・スタジアム (1923年)|ヤンキー・スタジアム]]に移った第3・4戦はヤンキースが連勝し、迎えた第5戦。先発したラーセンはドジャース打線に1本のヒットも四死球も、そして1人のランナーも許さず[[ワールドシリーズ]]史上初の[[完全試合]]を達成した<ref>{{cite web|url=http://bleacherreport.com/articles/506776-the-100-must-clutch-moments-in-sports-history#page/36 |title=Don Larsen's Perfect Game |publisher=bleacherreport.com |date=2010-11-08 |accessdate=2010-12-04}}</ref>。2018年終了時点で唯一の記録である。シリーズは最終戦までもつれたがヤンキースが勝ち、ラーセンは[[ワールドシリーズ最優秀選手|シリーズMVP]]及び[[ベーブ・ルース賞]]に選ばれた。
 
翌{{by|1957年}}も10勝をあげるが、2けた勝利はその2シーズンのみ。ヤンキースには{{by|1959年}}まで在籍し、その後は{{by|1960年}}に[[オークランド・アスレチックス|カンザスシティ・アスレチックス]](そのときの交換相手の一人に[[ロジャー・マリス]]がいる)、{{by|1961年}}途中に[[シカゴ・ホワイトソックス]]、{{by|1962年}}に[[サンフランシスコ・ジャイアンツ]]、{{by|1964年}}途中に[[ヒューストン・アストロズ|ヒューストン・コルト45's]]({{by|1965年}}よりアストロズに名称変更)、{{by|1967年}}に[[シカゴ・カブス]]に移籍し、1967年限りで現役引退。