「不良債権」の版間の差分

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{{See also|失われた10年}}
 
通常であれば、銀行は融資の際に[[不動産]]などの[[担保]]を取るため、貸し倒れが起こっても担保を回収することで損失は出さずに済む。しかし[[日本]]では、[[バブル景気]]時代に高騰した不動産を担保にとり甘い融資が行われた。通常は土地評価額の70%を目安に融資額を設定するが、今後の地価の高騰を見越して120%を融資した例や、融資を優先するあまり、劣後抵当権の位が下位で担保を設定して貸し付けるなどの行為も行われた。[[バブル崩壊]]後には融資先が事業に失敗して融資の回収ができず、さらに、担保の不動産は暴落して融資額を下回り、そして、劣後順の抵当権で担保を設定した金融機関は融資回収できず担保も取れない、という状況が相次いた。こうして回収が不可能になった債権によって日本の銀行各行は深刻な経営危機に陥った。
 
債権を審査する基準を甘くして、本来不良債権とするべき物件を正常債権と区分したり、所定の返済に必要な資金を追い貸しして不良債権ではなく正常債権とみなす操作を行うなど、不良債権総額を低く見せて経営状態を取り繕ろう行為も横行した<ref name="dbj">{{Cite journal|和書|author=中村純一 |author2=福田慎一 |title=いわゆる「ゾンビ企業」はいかにして健全化したのか |date=2008-03 |publisher=日本政策投資銀行設備投資研究所 |journal=経済経営研究 |volume=28 |number=1 |naid=40016026053 |pages=1-36 |url=http://www.dbj.jp/ja/topics/report/2008/html/0000001452.html |ref=harv}}</ref>。バブル崩壊後の不景気、[[信用収縮]](クレジット・クランチ)の中で、これらの行為がなされている、その疑いがある、という広く報道もありされ、金融不安を助長した。政府は当初、[[護送船団方式]]を取り、金融機関は潰さないと表明して[[護送船団方式]]を取っていたが、。しかし1995年頃より、これらの問題を解決するため「市場から退場すべき企業は退場させる」姿勢を示しに転じ[[兵庫銀行]]が戦後初の銀行倒産となった。債権の審査を厳しくして不良債権の隠蔽を認めず、また、不良債権に対する貸倒引当金の積み増しを要求した。そして、不良債権が過大となって実質債務超過に陥った金融機関を処理した。まず、[[兵庫銀行]]が銀行として戦後初めて倒産し、[[北海道拓殖銀行]][[新生銀行|日本長期信用銀行]]、さらには[[日本債券信用銀行]]のような[[都市銀行]]や[[長期信用銀行]]まで破綻する事態となり、った。破綻をのがれた他の大手銀行も、国から大規模な[[公的資金]]注入を受けてその場をしのぐ有様となった。
 
こうして銀行の体力が奪われたことは、バブル崩壊後の日本経済を再建する上で大きな足枷となった。銀行は融資に対して過度に慎重となり、[[中小企業]]に対する[[貸し渋り]]や[[貸し剥がし]]が目立つなどといった現象も見られる目立つようになった。このため不景気に加えて、資金調達が困難となったために新規事業の立ち上げがしづらく困難になったばかりでなく、融資を受けられなくなったことによる[[倒産]]、さらには倒産倒産を呼ぶ[[連鎖倒産]]を招くなどして、[[失業率]]上昇を招いた。さらには経営の行き詰まりや失業を原因とした中高年の自殺者も急増し、深刻な社会問題となった。
 
しかし、[[小渕内閣]]の下で行われた大規模な公的資金の投入によって、こうした信用収縮は収束することとなった。しかし、それでも景気悪化に伴いもあり、不良債権は増加を続け、金融庁によれば全国銀行の金融再生法開示債権残高は平成14年3月末には43.2兆円に達していた。
 
銀行への資本注入のための公的資金枠は、1999年12月には70兆円にまで積み増すことが決定された<ref>日本経済新聞社編 『検証バブル 犯意なき過ち』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、36頁。</ref>。