「津原泰水」の版間の差分

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デビュー、再デビュー(名義変更)の経緯 を追記
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アメリカの作家[[ジョナサン・キャロル]]を敬愛しており、彼の短篇集である創元推理文庫版『パニックの手』に解説を寄せている。
 
== 作品の特徴 ==
ジャンルはホラー小説、SF小説、推理小説、青春小説、恋愛小説と多岐に亘る。本人はしばしば「すべて広義の幻想小説である」と発言している。<br>
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文章表現に定評がある。小説家としてのデビュー前から文章を評価されてきたことは本人もしばしば発言しており、その評価に立脚して意識的にさまざまな文章表現の研究を重ねている様が、あとがきやインターネットなどでの発言に見られる。近作では明治期の文体を模した作品(『[[夢分けの船]]』<ref>ツイッターアカウント2018年9月27日投稿</ref>)、敢えて平易な表現を重ねた作品(『飼育とその技能』<ref>ツイッターアカウント2019年1月18日投稿</ref>)などがある。<br>
 
== デビュー、再デビュー(名義変更)の経緯 ==
 
大学在学中から、ライターとして雑誌やゴーストライティングの仕事をしていた。<br>
== 交友関係 ==
卒業後は印刷会社に就職したもののまもなく退職して社員寮を出ることとなり、居場所を失くしてかつてのアルバイト先であった編輯プロダクションに居候する。この事務所への原稿依頼に応じて書き上げたのが『星からきたボーイフレンド』であり、これが「津原やすみ」としてのデビューとなった。<br>
近年では交友の確認できない人物、交友の途絶が確認されている人物もあるが、エピソードを付しまとめて記す。
平仮名を交えたこの名義は、編集部からの「女性だと誤解される余地を残してくれ」という要請に応じたもの。性別を明らかにしないまま少女小説の執筆を続けたが、やがて引退を考えるようになる。<ref>『音楽は何も与えてくれない』、『ホラー・ジャパネスク読本』</ref><br>
<br>
その頃、新しく立ち上がった叢書の依頼に応じて着手されたのが、「津原泰水」としての再デビュー作となる『[[妖都]]』である<ref>『歌うエスカルゴ』あとがき</ref>。<br>
:[[上杉裕世]](マットペインティング・アーティスト) - 小中高を通じての同級生。現在(2014年)に至るまで交流が続いている<ref>「音楽は何も与えてくれない」p.53</ref>。『ブラバン』の、高校時代の主人公が友人から法王の説教に誘われる場面は、上杉が津原を誘って出向いた事実に基づいて描かれている<ref>「音楽は何も与えてくれない」p.58</ref>。
しかし内容の過激さから、予定していた部署からの出版を拒否される。発表の目処のつかないまま完成した本作は、交友のあった[[綾辻行人]]より講談社の[[宇山日出臣]]へ推薦され、別部署からの出版が決定した。<ref>『特別鼎談』「メフィスト」1997年12月号</ref><br>
:[[金子國義]](洋画家)- 再デビュー作『[[妖都]]』装丁に端を発する親密な交流が知られる。金子の死去時には連名喪主も務めている。
{{See|妖都#刊行の経緯}}
:[[四谷シモン]](人形作家)- [[金子國義]]を交えての親密な交流が知られる(知り合うに至ったきっかけは別個)。『[[11 eleven (小説)|11 eleven]]』表紙には四谷の作品の写真が使われている。
:[[小中千昭]](脚本家) - 再デビュー作『[[妖都]]』のモチーフは小中による(小中の原案をそれぞれに書くという企画であったが、小中版は多忙のため頓挫)。2013年頃には、津原、小中、津原の担当編集者の3人でバンド活動を行なっていた<ref>https://book.hikaritv.net/book/static/140822_magazine/data/index.html</ref>。
:[[クラウス・フォアマン]](ベーシスト/画家)(ジョン・レノン、ジョージ・ハリスンらを支え、ビートルズ『[[リボルバー (アルバム)|リボルバー]]』のジャケットも手がけた) - [[金子國義]]の伝手で、日本での回顧展企画の相談を受けたことからの繋がり<ref>ツイッターアカウント2017年10月27日投稿</ref>。『ヒッキーヒッキーシェイク』(幻冬舎版)に書き下ろしの表紙画を提供されている。原画は津原が購入。また『音楽は何も与えてくれない』にも寄稿がある。
:[[本多正一]] - 青山学院大学での同期生<ref>『音楽は何も与えてくれない』p.266</ref>。
:[[喜国雅彦]] - 随想集の帯文では「親友」と附記されている。津原・綾辻・喜国の3人でフォークグループを組んでいる旨1999年のWeb日記に記述がある<ref>『音楽は何も与えてくれない』p.215</ref>。
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(小説家)
:[[青山えりか]] - 少女小説時代の著作のあとがきにたびたび言及が見られる。
:[[綾辻行人]] - 再デビュー作『[[妖都]]』の執筆に協力、また脱稿時には綾辻の推薦により講談社より刊行の運びとなった。刊行後の「メフィスト」誌上での鼎談において、交流はニフティサーブでの津原の発言がきっかけで始まったものと語られている<ref>『特別鼎談』「メフィスト」1997年12月号</ref>。津原・綾辻・喜国の3人でフォークグループを組んでいる旨1999年のWeb日記に記述がある<ref>『音楽は何も与えてくれない』p.215</ref>。
:[[井上雅彦]] - [[幽明志怪シリーズ]]の登場人物のモデルとなり、単行本刊行の際には添書きを寄せている。後に交流は途絶している<ref>ツイッターアカウント2019年6月17日投稿</ref>。
:[[梅村崇]] - 代々木アニメーション学院での教え子<ref>『音楽は何も与えてくれない』p.266</ref>。後に共著している。
:[[風見潤]] - 青山学院大学推理小説研究会での先輩にあたる<ref>『音楽は何も与えてくれない』p.175</ref>。津原は風見の訃報を受けた顛末を、ほぼ実話のままに小説化している(『[[猫ノ眼時計]]』所収)。
:[[菊地秀行]] - 青山学院大学推理小説研究会での先輩にあたる<ref>『音楽は何も与えてくれない』p.175</ref>。
:[[北原尚彦]] - 青山学院大学推理小説研究会での先輩にあたる<ref>『音楽は何も与えてくれない』p.175</ref>。少女小説時代の著作のあとがきにも言及が見られる。
:[[桐野夏生]] - 一時期近所に住んでいた。花見に同行したことが2000年のWeb日記に書かれている<ref>『音楽は何も与えてくれない』p.261</ref>。
:[[竹河聖]] - 青山学院大学推理小説研究会での先輩にあたる<ref>『音楽は何も与えてくれない』p.175</ref>。
:[[茶木則雄]] - 青山学院大学推理小説研究会での先輩にあたる<ref>『音楽は何も与えてくれない』p.175</ref>。
:[[日暮雅通]] - 青山学院大学推理小説研究会での先輩にあたる<ref>『音楽は何も与えてくれない』p.175</ref>。
:[[皆川ゆか]] - 少女小説時代の著作のあとがきにたびたび言及が見られる。桜桃書房での津原の執筆は皆川の紹介による<ref>皆川ゆかツイッターアカウント2012年6月12日投稿</ref>。またSF Japanでの皆川の執筆は津原の要請による<ref>ツイッターアカウント2016年10月23日投稿</ref>。また2017年、久しぶりに対面したと両者のツイッターアカウントに発言がある。
:[[霧海正悟]] - 代々木アニメーション学院での教え子。霧海の筆名は津原の考案<ref>『音楽は何も与えてくれない』p.266</ref>。
:[[室井佑月]] - 代々木アニメーション学院での教え子。卒業後、山村正夫に紹介したのは津原であるという。<ref>ツイッターアカウント2017年11月17日投稿</ref>
:[[山村正夫]] - 津原が在籍していた時期の[[青山学院大学]]推理小説研究会の実質的顧問であった。「師匠」「門下」との発言がたびたび見られる<ref>『音楽は何も与えてくれない』p.128</ref>。
 
== 経歴 ==
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*2007年、『ブラバン』で本屋大賞13位。
*2012年、『[[11 eleven (小説)|11 eleven]]』で本屋大賞15位。
 
 
== 交友関係 ==
近年では交友の確認できない人物、交友の途絶が確認されている人物もあるが、エピソードを付しまとめて記す。
<br>
:[[上杉裕世]](マットペインティング・アーティスト) - 小中高を通じての同級生。現在(2014年)に至るまで交流が続いている<ref>「音楽は何も与えてくれない」p.53</ref>。『ブラバン』の、高校時代の主人公が友人から法王の説教に誘われる場面は、上杉が津原を誘って出向いた事実に基づいて描かれている<ref>「音楽は何も与えてくれない」p.58</ref>。
:[[金子國義]](洋画家)- 再デビュー作『[[妖都]]』装丁に端を発する親密な交流が知られる。金子の死去時には連名喪主も務めている。
:[[四谷シモン]](人形作家)- [[金子國義]]を交えての親密な交流が知られる(知り合うに至ったきっかけは別個)。『[[11 eleven (小説)|11 eleven]]』表紙には四谷の作品の写真が使われている。
:[[小中千昭]](脚本家) - 再デビュー作『[[妖都]]』のモチーフは小中による(小中の原案をそれぞれに書くという企画であったが、小中版は多忙のため頓挫)。2013年頃には、津原、小中、津原の担当編集者の3人でバンド活動を行なっていた<ref>https://book.hikaritv.net/book/static/140822_magazine/data/index.html</ref>。
:[[クラウス・フォアマン]](ベーシスト/画家)(ジョン・レノン、ジョージ・ハリスンらを支え、ビートルズ『[[リボルバー (アルバム)|リボルバー]]』のジャケットも手がけた) - [[金子國義]]の伝手で、日本での回顧展企画の相談を受けたことからの繋がり<ref>ツイッターアカウント2017年10月27日投稿</ref>。『ヒッキーヒッキーシェイク』(幻冬舎版)に書き下ろしの表紙画を提供されている。原画は津原が購入。また『音楽は何も与えてくれない』にも寄稿がある。
:[[本多正一]] - 青山学院大学での同期生<ref>『音楽は何も与えてくれない』p.266</ref>。
:[[喜国雅彦]] - 随想集の帯文では「親友」と附記されている。津原・綾辻・喜国の3人でフォークグループを組んでいる旨1999年のWeb日記に記述がある<ref>『音楽は何も与えてくれない』p.215</ref>。
<br>
(小説家)
:[[青山えりか]] - 少女小説時代の著作のあとがきにたびたび言及が見られる。
:[[綾辻行人]] - 再デビュー作『[[妖都]]』の執筆に協力、また脱稿時には綾辻の推薦により講談社より刊行の運びとなった。刊行後の「メフィスト」誌上での鼎談において、交流はニフティサーブでの津原の発言がきっかけで始まったものと語られている<ref>『特別鼎談』「メフィスト」1997年12月号</ref>。津原・綾辻・喜国の3人でフォークグループを組んでいる旨1999年のWeb日記に記述がある<ref>『音楽は何も与えてくれない』p.215</ref>。
:[[井上雅彦]] - [[幽明志怪シリーズ]]の登場人物のモデルとなり、単行本刊行の際には添書きを寄せている。後に交流は途絶している<ref>ツイッターアカウント2019年6月17日投稿</ref>。
:[[梅村崇]] - 代々木アニメーション学院での教え子<ref>『音楽は何も与えてくれない』p.266</ref>。後に共著している。
:[[風見潤]] - 青山学院大学推理小説研究会での先輩にあたる<ref>『音楽は何も与えてくれない』p.175</ref>。津原は風見の訃報を受けた顛末を、ほぼ実話のままに小説化している(『[[猫ノ眼時計]]』所収)。
:[[菊地秀行]] - 青山学院大学推理小説研究会での先輩にあたる<ref>『音楽は何も与えてくれない』p.175</ref>。
:[[北原尚彦]] - 青山学院大学推理小説研究会での先輩にあたる<ref>『音楽は何も与えてくれない』p.175</ref>。少女小説時代の著作のあとがきにも言及が見られる。
:[[桐野夏生]] - 一時期近所に住んでいた。花見に同行したことが2000年のWeb日記に書かれている<ref>『音楽は何も与えてくれない』p.261</ref>。
:[[竹河聖]] - 青山学院大学推理小説研究会での先輩にあたる<ref>『音楽は何も与えてくれない』p.175</ref>。
:[[茶木則雄]] - 青山学院大学推理小説研究会での先輩にあたる<ref>『音楽は何も与えてくれない』p.175</ref>。
:[[日暮雅通]] - 青山学院大学推理小説研究会での先輩にあたる<ref>『音楽は何も与えてくれない』p.175</ref>。
:[[皆川ゆか]] - 少女小説時代の著作のあとがきにたびたび言及が見られる。桜桃書房での津原の執筆は皆川の紹介による<ref>皆川ゆかツイッターアカウント2012年6月12日投稿</ref>。またSF Japanでの皆川の執筆は津原の要請による<ref>ツイッターアカウント2016年10月23日投稿</ref>。また2017年、久しぶりに対面したと両者のツイッターアカウントに発言がある。
:[[霧海正悟]] - 代々木アニメーション学院での教え子。霧海の筆名は津原の考案<ref>『音楽は何も与えてくれない』p.266</ref>。
:[[室井佑月]] - 代々木アニメーション学院での教え子。卒業後、山村正夫に紹介したのは津原であるという。<ref>ツイッターアカウント2017年11月17日投稿</ref>
:[[山村正夫]] - 津原が在籍していた時期の[[青山学院大学]]推理小説研究会の実質的顧問であった。「師匠」「門下」との発言がたびたび見られる<ref>『音楽は何も与えてくれない』p.128</ref>。
 
== 作品リスト ==