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高校を1年で中退し、プロレスラーになるため自宅やジムでトレーニングに励む。しかし、ヘルニアを患ったため、プロレスラーになることを断念し、高校に再入学する。卒業後は転職を繰り返しながら腰の痛みが癒えたためトレーニングを再開して[[闘龍門]]の10期生として入門。
 
闘龍門入団後、闘龍門Xの一員として[[メキシコ]]に渡り、[[2002年]]12月7日、メキシコのヒムナシオ・デ・ラ・ウニダ・クアウテモックにて[[卍丸 (プロレスラー)|村上学]]&[[南野タケシ|山本武志]]組との[[タッグマッチ]]にてデビュー(タッグパートナーは[[Ken45゜|坂井謙一]])。2004年、闘龍門JAPANに所属を移すが直後に団体が[[DRAGON GATE]]として独立しこれに追随。闘龍門X出身者で唯一のDRAGON GATE移籍者となった
 
[[2004年]]、闘龍門JAPANに所属を移すが直後に団体が[[DRAGON GATE]]として独立しこれに追随。闘龍門X出身者で唯一のDRAGON GATE移籍者となった。
2005年12月27日、16人参加バトルロイヤルサバイバルゲートに勝利。
 
[[2005年]]12月27日、16人参加バトルロイヤルサバイバルゲートに勝利。当初は[[Do FIXER]]入りを目指したものの、あまりの弱さにボスの[[黒木克昌|マグナムTOKYO]]からサーファーキャラを剥奪され、[[ウォーターボーイズ]]への転向を余儀なくされるなどを経て、ようやく正式メンバーになる。しかし、

[[2006年に入ると]]、凶器攻撃や味方への誤爆を繰り返すようになり追放となった。
 
その頃から[[CIMA (プロレスラー)|CIMA]]に[[Blood Generation]]に勧誘されていて、4月12日に加入したが、直後に[[土井成樹]]らと共に、CIMA、[[ドン・フジイ]]、[[鷹木信悟]]を追放する。
 
土井成樹をリーダーとした新ユニット[[マッスル・アウトローズ]]の一員として試合を続けるも、主に負け役である事態が続く。
 
2006年6月、[[三島来夢]]と共にフリー契約となり、2006年7月12日東京[[後楽園ホール]]の「WRESTLE JAM」最終戦以降DRAGON GATEから離れることになる。
 
2006年11月22日[[プロレスリング・エルドラド|プロレスリングElDorado]][[新宿FACE]]大会に乱入、12月27日新宿FACE大会からエルドラドへ本格参戦した。
 
[[2007年]]6月2日、[[ZERO1|ZERO1-MAX]]に参戦しAWA世界ジュニア王座決定戦ロイヤルランブルに出場した。
 
同年、[[大日本プロレス]]で[[デスマッチ]]参戦を表明。そのテストマッチとして行われた、7月22日[[博多スターレーン]]大日本・エルドラド合同興行にて[[葛西純]]・[[MASADA]]を相手にハードコアマッチで勝利(パートナーは[[宮本裕向]])。8月[[サッポロテイセンボウル|札幌テイセンホール]]大会でデスマッチデビューしている。その後、しばらくして大日本のデスマッチ戦線から離脱
 
その後、しばらくして大日本のデスマッチ戦線から離脱し、[[2008年]]3月6日にプロレスリングElDoradoを退団する。
 
3月7日、後楽園ホール大会で、突如DRAGON GATEのマットに[[マッスル・アウトローズ]]の新メンバーとして現れ(即座に裏切り・離脱)、復帰することを宣言。
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5月14日、[[神田裕之]]とのシングルマッチ中に[[新井健一郎]]、[[岩佐拓]]のアシストを受けて試合に勝利、試合後[[戸澤塾]]に勧誘される。しかし、メインイベント後に土井成樹、[[吉野正人]]、[[B×Bハルク]]を救出し新ユニット(後の[[WORLD-1]])を結成。
 
[[2010年]]9月17日の後楽園ホール大会にて[[ディープ・ドランカーズ]]入りし、解散後のブラッドウォーリアーズにも加入。
 
オープン・ザ・トライアングルゲート王座にダーツ(土井ダーツ)でKzyと共にメンバーに選ばれ、発案者の[[土井成樹]]に落胆されるもトライアングルゲートを奪取。2カウントルール(王者のみ2カウントで勝利)を条件に相手に挑戦させ王座を防衛していた。
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また、PACが持っていたブレイブゲートのベルトを強奪し「Blood Warriors 認定オープン・ザ・ブレイブゲート選手権試合」としていたもののPACに取り返されてしまった。
 
[[2012年]]1月8日、名古屋での試合で右肩を脱臼・骨折(全治半年)欠場中に体型は違えど、髪型や肩の刺青など本物ソックリの「[[苫小牧卓也|谷崎なおき]]」(「嵜」ちがい)が出場中。その代わり[[苫小牧卓也|トマホークT.T.]]が欠場している7月1日大阪での試合の終了後に[[ジミーズ]]が締めのマイクを行っているところに、黒髪&メガネで現れ「今日はメガネを掛けて来ました。ジミーズに入れてください」とジミーズ入りとなった。9月23日オープン・ザ・トライアングルゲート選手権にて「トライアングルゲート・コントラ・タニザキナオキ」として戸澤、ハルク、谷崎組に敗戦。負けた場合に当の本人が改名させられる試合として開催されたが、[[苫小牧卓也|谷崎なおき]]から「同じタニザキがカブる」との理由で「豊中出身」「イルカのような目」、「イルカはキューキュー泣く」を踏まえた上で「'''Mr.キューキュー・豊中ドルフィン'''」に改名させられた。
 
[[2013年]]1月27日[[神戸サンボーホール]]大会で、リングネームとDRAGON GATE追放をかけて行った谷崎なおきとのシングルマッチに勝利し、谷嵜なおきの名前を取り戻し、逆に谷崎なおきのリングネームを「Mr.ピーピー・苫小牧ペンギン」に改名させた。その後、名前は取り戻したものの「Mr.キューキュー"谷嵜なおき"豊中ドルフィン」というリングネームで活動した。
 
[[2015年]]10月8日後楽園ホール大会で、ジミー・クネスJ.K.S.に敗北。その後、欠場中の[[KAGETORA (プロレスラー)|ジミー・カゲトラ]]にジミーズに残るように言われるもカゲトラに必殺のインプラントを放ち、ジミーズを脱退。[[VerserK]]に加入。そしてリングネームを「谷嵜なおき」に戻した。
 
[[2017年]]10月31日、DRAGON GATEとの契約満了により退団。11月25日、[[ダブプロレス]]に入団。
 
== 得意技 ==