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'''新潟県中越地震'''(にいがたけんちゅうえつじしん)は、[[2004年]]([[平成]]16年)[[10月23日]]17時56分、[[新潟県]][[中越地方]]を[[震源]]として発生した[[マグニチュード|M]]6.8、震源の深さ13 kmキロの直下型の[[地震]]である<ref name="岡田2014p100">[[新潟県中越地震#岡田 2014|岡田 2014]], p. 100.</ref>。[[1995年]]の[[兵庫県南部地震]]([[阪神・淡路大震災]])以来、当時観測史上2回目の'''最大[[震度7]]'''を記録した。なお、[[1996年]]の[[気象庁震度階級|震度]]改正以降、震度計によって震度7が観測されたのは、この地震が初めてである<ref>{{Cite web|url=https://www.data.jma.go.jp/svd/eqdb/data/shindo/index.php|title=気象庁|震度データベース検索|accessdate=2019年8月1日|publisher=}}</ref>。
 
== 概要 ==
[[ファイル:Chuetsu earthquake-Yamabe Bridge.jpg|thumb|[[小千谷市]]の[[国道117号]]にかかる山辺橋。およそ50 cmの段差が出来て自動車が通れなくなった。2004年10月撮影。]]
 
新潟県[[北魚沼郡]][[川口町 (新潟県)|川口町]](現[[長岡市]])の直下を震源として発生した[[断層#逆断層|逆断層]]型の[[地震#内陸地殻内地震|内陸地殻内地震]]で、震源直上の川口町では'''最大震度7'''を観測した<ref name="岡田2014p100" />。震度7を観測したのは、[[1995年]]の阪神・淡路大震災以来9年ぶり、観測史上2回目。なお、阪神・淡路大震災では[[気象庁]]などの調査によって[[気象庁震度階級|震度]]が判定されたため、[[震度計]]で震度7が観測されたのは初めてである。また、M6を越える規模の大きな[[余震]]が複数回発生するなど、余震回数が多く[[群発地震]]的様相を呈したことも特徴のひとつである。
 
[[気象庁]]はこの地震を'''平成16年(2004年)新潟県中越地震'''({{lang-en-short|Mid Niigata Prefecture Earthquake in 2004}})と[[気象庁が命名した自然現象の一覧|命名]]した。英語圏では Niigata Prefecture Chuetsu Earthquake などの表記が多く用いられた。また、一般的ではないものの、新潟県はこの地震による[[震災]]を'''新潟県中越大震災'''と命名し、この呼称を11月29日より使用している。
 
=== 本震 ===
* 発震 : 2004:2004年(平成16年)10月23日 土曜日 17時56分0.3秒([[日本標準時]])
* 震央 新潟県中越地方、北緯37度17分30秒、東経138度52分0秒
* 震源の深さ : 13:13.1 kmキロ
* 地震の規模 [[気象庁マグニチュード|マグニチュード]]6.8
* 最大加速度 川口町(現長岡市):約2,515 gal515gal
* 最大震度 川口町(現長岡市):'''震度7'''{{Refnest|group=注|地震発生直後には停電による衛星通信端末の停止で情報が入らず、後日記録から確認された。当初は[[小千谷市]]などで観測された震度6強が最大震度だと思われた。気象庁の推計震度分布図<ref>[http://www.data.jma.go.jp/svd/eew/data/suikei/200410231756_371/200410231756_371_1.html 【平成16年(2004年)新潟県中越地震】 2004年10月23日17時56分 新潟県中越地方 M6.8] 気象庁</ref>では、川口町での震度7の情報が入る以前に震源地付近で震度7相当の揺れがあったことが推定されていた。}}
* [[地震モーメント]] : 1:1.1×10<sup>19</sup> Nm
** [[モーメントマグニチュード]] : 6:6.6
** 最大すべり量 : 1:1.6 mメートル{{refnest|group="注"|GPS観測によって、小千谷市で本震後に西南西方向に8.1cmの水平移動と26.5cmの隆起、守門村で西北西方向に21cmの水平移動と6.3cmの沈降が発生したのが確認された<ref>[[#岡田 2014|岡田 2014]], pp. 100-101.</ref>。}}
 
==== 各地の震度 ====
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|}
 
北は青森県の[[東津軽郡]][[蟹田町]](現在の[[外ヶ浜町]])、西は兵庫県の[[神戸市]][[灘区]]、南は和歌山県の[[那賀郡 (和歌山県)|那賀郡]][[打田町]]・[[粉河町]](どちらも現在の[[紀の川市]])で震度1を観測するなど、東北地方から近畿地方にかけて震度1以上の揺れを観測し、北海道の[[函館市]]でもビルの高層階では揺れを感じた。また、[[防災科学技術研究所]]が運用している[[強震観測網]]によれば小千谷市で震度7相当(計測震度6.7)の揺れを観測した<ref group="G">{{Cite web|url=http://www.kyoshin.bosai.go.jp/kyoshin/quake/|title=強震観測網|accessdate=2014-03-16|editor=[[防災科学技術研究所]]}}</ref>。
 
=== 余震 ===
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==== 余震の概要 ====
[[ファイル:2004 Niigatachuetsu Quakemap.png|thumb|right|250px|マグニチュード6以上の3つの地震の震源図(気象庁の中越地震震源確定値資料に基づく)]]
本震の震源の深さが地下13 kmキロで、[[余震]]も地下20 kmキロ以下で発生し、大きな有感地震が続いた。
 
新潟県内では、本震発生後2時間の間に3回の震度6(弱が1回、強が2回)、地震発生日に計164回の有感地震、翌24日も計110回の有感地震を観測その後も余震が続き、10月31日までの間に計600回、11月30日までの間に計825回の有感地震を計測した。10月25日以降は、大学の共同研究チーム、気象庁、防災科学技術研究所などにより、臨時の地震計(149台)、GPS変位計(17台)、電磁気(9台)の観測機器が設置され余震活動を記録し<ref>{{Cite journal|和書|author=飯尾能久、松本聡、松島健 ほか|date=2006|title=2004年新潟県中越地震の発生過程|journal=地震 第2輯|volume=58|issue=4|pages=463-475|doi=10.4294/zisin1948.58.4_463|url=https://doi.org/10.4294/zisin1948.58.4_463}}</ref>地下構造の解析を行った。[[兵庫県南部地震]]をきっかけに整備された[[高感度地震観測網]]と臨時地震観測機器群の活躍により阪神・淡路大震災の際に記録した余震の2倍、[[三河地震]]に匹敵する回数の余震を観測している<ref>[http://www.eri.u-tokyo.ac.jp/HIRATA-LAB/dannwakai/20041126.ppt 2004年新潟県中越地震緊急観測]{{リンク切れ|date=2019-06}} 第822回地震研究所談話会 2004/11/26 東京大学地震研究所緊急余震観測グループ 平田直、佐藤比呂志</ref>。震度6強の強い揺れをともなった地震が短時間に連続して発生しており、余震の規模と時空間分布からみると群発地震的な特徴を持っている<ref>{{Cite journal|和書|author=細野耕、司西政樹、吉田明夫|date=2006|title=内陸大地震の余震活動域の深さの時間変化|journal=地震 第2輯|volume=59|issue=1|pages=29-37|doi=10.4294/zisin.59.29|url=https://doi.org/10.4294/zisin.59.29}}</ref>。地震から7年以上経った2011年でも最大震度が2 - 3の余震が時折発生している。
 
[[新潟地方気象台]]によると2006年(平成18年)5月2日に発生した小千谷市で最大震度2を観測した余震により震度1以上の余震は1,000回を超えた。
 
気象庁の発表によると最大震度5弱以上の余震は12月28日までに19回起きている(下記の時刻はすべて[[日本標準時]])<ref group="G"> [http://www.hrr.mlit.go.jp/saigai/H161023/chuetsu-jishin/index.html 新潟県中越地震ー北陸地方整備局のこの1年ー(第1章 新潟県中越地震の概要)] 国土交通省 北陸地方整備局</ref>。
 
{| class="wikitable"
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==== 最大余震 ====
新潟県中越地震において、最もっとも規模が大きかった余震は、本震からおよそ40分後の、10月23日18時34分に発生した、M6.5(最大震度6強)の余震であった。
 
最大余震のデータ<ref name=":0">{{Cite web|url=https://www.data.jma.go.jp/svd/eqdb/data/shindo/Event.php?ID=164444|title=気象庁|震度データベース検索 (地震別検索結果)|accessdate=2019年8月1日|publisher=}}</ref>
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・震央:新潟県中越地方
 
・震源の深さ:14km:14キロ
 
・地震の規模:M6.5
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・最大震度:震度6強
 
この地震における、震度6弱以上の地点は以下の通り(観測点名は当時のもの)<ref name=":0" group="G" />。(観測点名は当時のもの)
{| class="wikitable"
!<small> 震 度</small>
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|<small>[[大島村 (新潟県東頸城郡)|大島村]]上達・[[栃尾市]]大町・[[清里村 (新潟県)|清里村]]荒牧・[[出雲崎町]]川西・[[広神村]]米沢・[[松之山町]]松之山・[[吉川町 (新潟県)|吉川町]]原之町・上越市木田・[[津南町]]下船渡・[[板倉町 (新潟県)|板倉町]]針・[[栄町 (新潟県)|栄町]]新堀・[[頸城村]]百間町新田・[[柏崎市]]中央町・[[中之島町]]中之島</small>
|}
このほか、[[東北地方]]から[[近畿地方]]にかけての広い範囲で、震度4から震度1を観測した<ref>{{Cite web|url=https://www.data.jma.go.jp/svd/eqdb/data/shindo/Event.php?ID=164444|title=気象庁|震度データベース検索 (地震別検索結果)|accessdate=2019年8月1日|publisher=}}</ref>。
 
[[兵庫県]][[加古川市]]では、本震では体に感じる揺れ(震度1以上)は観測されなかったが、この余震では震度1の揺れが観測されている<sup>[[新潟県中越地震#cite%20note-8|[G 3]]]</sup>。
 
=== 地震動の伝播 ===
防災科学技術研究所により整備・運用されている[[高感度地震観測網]] (Hi(Hi-net) net)のデータを利用した、地震動が伝播する様子を色の変化で表現した静止画と動画。揺れが広がっていった様子がわかる。
* [http://www.hinet.bosai.go.jp/hypo/super-rapid/png/20041023175605.png 最大振幅分布図]
* [http://www.hinet.bosai.go.jp/hypo/super-rapid/snapshot/2004/10/20041023175605/20041023175605.avi 振幅アニメーション]
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== 地震像 ==
この地域は、ユーラシアプレートと[[北米プレート]]が衝突する[[日本海東縁変動帯]]の陸域の[[新潟-神戸歪集中帯]]の中でも強い[[褶曲]]を受け複雑な応力場を生じている地域である。北北東 - 南南西方向の軸を持つ複[[背斜]]構造があり、震源域となった新潟堆積盆地の東縁(信濃川の東岸)の東山丘陵と魚沼丘陵は、[[中新世]]以降に堆積した5,000 mメートル以上の堆積物が堆積している<ref>{{Cite journal|和書|author=岡村行信|date=2010|title=日本海東縁の地質構造と震源断層との関係|journal=地質学雑誌|volume=116|issue=11|pages=582-591|doi=10.5575/geosoc.116.582|url=https://doi.org/10.5575/geosoc.116.582}}</ref>。地震発生直後の調査では地表地震[[断層]]が出現した小平尾断層と六日町盆地西縁断層の北部が活動したと考えられた<ref>{{Cite journal|和書|author=鈴木康弘、渡辺満久|date=2006|title=新潟県中越地震にみる変動地形学の地震解明・地震防災への貢献 -地表地震断層認定の本質的意義-|journal=日本地理学会 E-journal GEO|volume=1|issue=1|pages=30-41|doi=10.4157/ejgeo.1.30|url=https://doi.org/10.4157/ejgeo.1.30}}</ref>が、その後の調査で前述断層帯が原因となった可能性を否定する<ref>[http://geo.sc.niigata-u.ac.jp/~earthquake/rep/04/toy1110/toy1110.html 六日町盆地西縁断層北部と小平尾断層の地震断層としての可能性] 2004年新潟県中越地震新潟大学調査団</ref>結果が得られている。阪神・淡路大震災のように明瞭な断層線が地表に出現しないことから、従来知られていた活断層(小平尾断層、六日町盆地西縁断層、信濃川低地西縁断層、信濃川低地東縁断層など)の活動ではなく、厚い堆積層下の未知の断層の活動による地震と考えられている。メカニズムとしては、北西 - 南東圧縮の逆断層型の地震である。本震および余震の振動波形や余震分布の解析結果によると、本震を発生させた滑り面とは別に並行する別な滑り面と本震と直交する合わせて3つの滑り面が存在した<ref>[http://taro.eri.u-tokyo.ac.jp/saigai/chuetsu/chuetsu.html 2004年新潟県中越地震 ─強震動と震源過程─] 東京大学地震研究所 地震火山災害部門・地球計測部門</ref>。
 
== 被害 ==
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||6,064||442||15
|}
強い揺れに見舞われた小千谷市、[[十日町市]]、長岡市、[[見附市]]を中心に、全体で68名が死亡した。家屋の全半壊はおよそ1万70007,000棟に上ったものの建物[[火災]]の発生は9件に留まった<ref>[[新潟県中越地震#岡田 2014|岡田 2014]], p. 101.</ref>。{{要出典範囲|豪雪地帯のため[[建築基準法]]により雪に押し潰されない頑丈な構造が要求され作られていたこと、また小千谷市などでは阪神・淡路大震災以来災害に備えた街づくりを進めていたことなどが、被害を抑えた要因だといわれている。|date=2016年7月9日 (土) 13:10 (UTC)}}
 
一方で、山崩れや土砂崩れなどで鉄道・道路が約6,000か所で分断された。2004年(平成16年)は7月13日に新潟県地方で大規模な水害が起こり([[平成16年7月新潟・福島豪雨]])、また夏から秋にかけて[[台風]]が過去最多の10個上陸するという、例年にない多雨に見舞われた年であった。このため、元々もともと地滑りの発生しやすい地形であったところに降雨によって地盤が緩みそれが地震が発生した際に多くの土砂崩れを引き起こしたものと思われる。
 
=== 河川 ===
[[山古志村]][[芋川 (信濃川水系・魚野川支流)|芋川]]流域では842か所で崩落が起き52か所で[[自然ダム]](河道閉塞)を生じ一部では湛水による被害を生じた<ref group="G">[http://www.nilim.go.jp/lab/bcg/siryou/tnn/tnn0616.htm 国総研資料 第616号 砂防事業に関する調査・研究の動向(その7)]:[http://www.nilim.go.jp/lab/bcg/siryou/tnn/tnn0616pdf/ks061612.pdf 第3分科会 新潟県中越地震 芋川河道閉塞対策(国土交通省 湯沢砂防事務所)] 国総研</ref>。
 
こうした河道閉塞により、村内の複数の集落で大規模な浸水の被害が出ており、下流域では[[土石流]]が発生する危険性があるため、ポンプによる排水や、河道付近の民家を撤去するなどの措置が取られた。
 
また地震発生当時、幸いにも水位が低かったために被害は発生しなかったが[[信濃川]]の堤防の一部にも亀裂が生じた。
 
=== ライフライン ===
[[電気]]・[[ガス燃料|ガス]]・[[水道]]・[[電話]]・[[携帯電話]]・[[インターネット]]などの[[ライフライン]]が破壊されたほか、新潟県への電話が集中したため、[[電話交換機|交換機]]が[[輻輳]]し、発信規制がかけられた。また、山間部へ続く通信ケーブルや、その迂回路も破壊され、外部からの情報にも孤立する自治体が出た。特に[[阪神・淡路大震災]]以降、災害に強いと思われてきた[[携帯電話]]については、震源地周辺では中継局の設備損壊や[[停電]]などがあり、中継局の機能維持のために非常用として蓄電されていた予備のバッテリーも、通話の集中によって1日あまりで使い果たされてしまうなどしたために、中継局そのものの機能が停止し通話不能となるなど広範囲で使用不能となった。
 
[[柏崎刈羽原子力発電所]]・[[福島第一原子力発電所|福島第一]]・[[福島第二原子力発電所|第二原子力発電所]]([[東京電力]])と[[女川原子力発電所]]([[東北電力]])を含めた[[発電所]]への被害はなかった。
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鉄道は[[上越新幹線]]で「[[とき (列車)|とき]]325号」が[[列車脱線事故|脱線]]([[上越新幹線脱線事故]]を参照)したほか、線路や橋脚が破壊され、それに加えてトンネルの路盤が盛り上がるなどの被害が発生した。国内の[[新幹線]]の営業運転中の脱線事故は開業以来初めて(詳細は[[鉄道事故#上越新幹線脱線事故|鉄道事故]]の項を参照のこと)。また在来線も[[上越線]]・[[信越本線]]・[[飯山線]]・[[只見線]]・[[越後線]]も路盤の崩壊など甚大な被害を受けた。また27日午前に発生した余震の際には、JR[[長岡駅]]大手口の外壁が崩壊する可能性があるとして一時閉鎖された(その後安全が確認され、同日夕刻から営業を再開した){{要出典|date=2016年7月9日 (土) 13:10 (UTC)}}。
 
道路は[[北陸自動車道]]や[[関越自動車道]]などの[[高速自動車国道|高速道路]]、[[国道17号]]や[[国道8号]]などの多くの[[一般国道]]、多くの[[都道府県道|県道]]や[[市町村道|生活道路]]も亀裂や陥没、土砂崩れ・崖崩れによって寸断された。このため山間部の集落の一部はすべての通信・輸送手段を失って孤立した。とりわけ[[古志郡]][[山古志村]](現・長岡市[[山古志_(長岡市)|山古志地域]])は村域に通じるすべての道路が寸断されたため、ほぼ全村民が村内に取り残され、[[自衛隊]]の[[ヘリコプター]]により長岡市・小千谷市などへ避難させる作業が行われた。主要地方道の小千谷川口大和線の木沢トンネルも損傷した<ref>{{PDFlink|[http://www.civil.chuo-u.ac.jp/lab/doshitu/eq_reports/2005/niigata6/niigatarep6.pdf 新潟県中越地震 第6回調査速報]}} 中央大学理工学部土木工学科土質研究室 地震調査報告</ref><ref>{{Cite journal|和書|author=森伸一郎、土谷基大、澤田純男|date=2005|title=新潟県中越地震における木沢トンネルの被害とそのメカニズム|journal=地震工学論文集|volume=28|page=182|doi=10.11532/proee2005a.28.182|url=https://doi.org/10.11532/proee2005a.28.182}}</ref>が、崩落箇所を修復し復旧した<ref>[http://kenmane.kensetsu-plaza.com/bookpdf/10/sgb_01.pdf 10.23新潟県中越大震災と災害復旧について(その1)] 建設マネジメント技術 2007年2月号</ref>。
 
=== 産業 ===
農業は大きな被害を受けた。[[川口町 (新潟県)|川口町]]や小千谷市では、地震の影響で[[水田]]が[[液状化現象|液状化]]したり、[[棚田]]が崩壊するなどの被害も見られた。これにより、翌年の[[米]]の耕作作業と収穫量に大きく影響した。
 
闘牛([[牛の角突き]])の盛んな山古志村には多数の牛がいたが、地震発生時に牛舎が倒壊して約半数が死んだ。生き残った牛も全村民の避難時に村に置き去りとなったが、もなく住民が余震の続く中を村に戻り、山道を移動したりヘリコプターで空輸したりするなどして数日内に全頭を救出した<ref name="山古志住民会議" />。山古志村では[[コイ#観賞魚・錦鯉・食料魚(ニシキゴイ)|錦鯉]]も養殖されていたが、地震により棚池の底にひび割れができて水が失われたり、棚堤防が決壊して流失したり、土砂崩れに埋まったりするなどして約80 %パーセントの錦鯉が死んだ<ref>{{Cite journal|和書|author=吉田芳春|date=2008-09|title=特集《農林水産分野における知的財産》 山古志村と錦鯉|url=https://system.jpaa.or.jp/patents_files_old/200809/jpaapatent200809_069-072.pdf|journal=パテント|volume=61|issue=9|pages=pp. 66-72|publisher=[[日本弁理士会]]|accessdate=2016-07-09|format=PDF}}(参照ページ:p. 70.)</ref>。生産者らは生き残った錦鯉を救出し、ヘリコプターにて村外へ搬出した<ref group="G">{{Cite web|url=http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10262996/www.s.affrc.go.jp/docs/gikai/pdf/1608_siryou5_3.pdf|title=資料5-3 新潟県中越地震にかかる錦鯉養殖業への技術的対応について|accessdate=2016-07-09|author=[[水産総合研究センター]]、[[水産庁]]栽培養殖課|date=2004-11-16|format=PDF|work=平成16年度第8回農林水産技術会議(懇談会)|publisher=[[農林水産省]]}} - WARPによるアーカイブ</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.japan-nishikigoi.org/japanese/report.html|title=現地レポート|accessdate=2016-07-09|date=2004-11-19|publisher=国際錦鯉普及センター}}</ref>。
 
=== 広範囲への影響 ===
影響は震源地周辺だけではなく、[[北陸新幹線]]や[[首都圏 (日本)|首都圏]]の[[私鉄]]や[[地下鉄]]も運転を見合わせたり、遅れが発生したりした。また、首都圏のJR各路線で使用する電力の半分は被災地周辺の水力発電所で賄われており、小千谷市や川西町にまたがる[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]保有の[[信濃川発電所]](44万9,000キロワット)に大きな被害が発生したため、発電不能となった。このため、ほかの発電所の発電量を増やしたり、[[東京電力]]から電気を購入したりするなどして対応で凌いだ(2006年3月14日に復旧工事が終了し、通常の発電出力に戻る)。
 
この地震では[[長周期地震動]]による被害も発生した<ref>古村孝志, 武村俊介, 早川俊彦、「[https://doi.org/10.5026/jgeography.116.3-4_576 2007年新潟県中越沖地震 (M6.8) による首都圏の長周期地震動]」 『地学雑誌』 2007年 116巻 3-4号 p.576-587, {{doi|10.5026/jgeography.116.3-4_576}}</ref><ref group="N">[[朝日新聞]] 2005年8月31日、[http://j.people.com.cn/2005/09/01/print20050901_53168.html 六本木ヒルズのエレベーター、中越地震でワイヤ切断]</ref>。震源から200 kmもキロ離れた[[東京都|東京]]では有感震度は3であったが、[[六本木]]にある[[森タワー]]の[[エレベーター]]6基が緊急停止、うち2基で乗客各1名が一時閉じこめられた。原因は地震動によるワイヤの[[共振]]と見られ、うち1基では8本あるワイヤの1本がエレベータ坑側壁の金具に接触し切れていた。
 
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* [[排気ガス]]中の[[一酸化炭素]]吸入による[[一酸化炭素中毒]]
 
また[[風邪]]や[[肺炎]]が流行したほか、[[避難所]]生活、及およびその後の[[仮設住宅]]における生活で仕事を失い、あるいは畑仕事などの作業ができなくなり、運動不足と孤立により高齢者の心身が急速に衰える[[廃用症候群]]が広がっている。11月以降、小千谷市など被災地では病死が例年の2倍程度になっており、震災の影響が指摘されている。
 
=== 被災者に対する経済的・心理的被害 ===
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{{出典の明記|section=1|date=2016年7月9日 (土) 13:10 (UTC)}}
{{独自研究|section=1|date=2016年7月9日 (土) 13:10 (UTC)}}
* 避難者は最大10万人以上に達した<ref name="岡田2014p101">[[新潟県中越地震#岡田 2014|岡田2014]], p. 101.</ref>。各地に設置された避難所では、1所でも数千人以上の人数が避難してきたところが多かった。災害時には学校の体育館等を避難所にすることが多いが、これだけの人数を一度に収容できる体育館や施設は少なく、その結果避難者全員が横になって眠るスペースや毛布まで不足する事態が起きた。同様に地震発生後の支援活動が通信・交通網の途絶などのために遅れた地区では、水や食料品の調達・支援も1 - 2日止まったため、その間食事の配給ができない地区もあった{{要出典|date=2016年7月9日 (土) 13:10 (UTC)}}。
* 各地の避難所に駆け込んだ人たちの中には、自宅は損壊もしていない無傷の状態の人達も多かったが、自宅が壊れる前に頑丈な造りの避難所に行ったほうが安全と考え、続々と集まってくる避難者で各地の避難所はパンク状態に陥った。避難所が足の踏み場もないほどすし詰めになり、先にも書いたようなスペースと物資の不足もあって、いくつかの場所では精神的ストレスから避難者同士の衝突まで起きてしまった{{要出典|date=2016年7月9日 (土) 13:10 (UTC)}}。これらの理由から、すでにパンク状態の避難所には入らず屋外に停車させた車の中で寝泊りする避難者もいた。
* 地震発生後の死者・行方不明者は約30人であったが、その後、車内での寝泊まりなどにともなうエコノミークラス症候群や心身上の過労から倒れ、避難先や病院で死亡する「震災関連死」が続出した<ref name="岡田2014p101" />。
 
=== 被災地の二次自然災害 ===
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==== 積雪による家屋倒壊 ====
新潟県は世界有数の[[豪雪地帯]]であるため、冬の積雪は毎年、多い場所で3 mメートルに達する。そもそも地震による屋根融雪設備の破損は多く、被災地一帯で人力での雪下ろしの必要性が高い状況にあった。2005年(平成17年)の1月下旬から2月上旬にかけて記録的な大雪(19年ぶりの豪雪)となり、場所によっては4 mメートルを越える積雪量となり、地震で傾いたり被害を受けた建物が積雪の重みで倒壊したりする例が出た。山古志村で6棟など最終的に77棟が雪の重みで倒壊し、うち長岡市など6棟で地震との因果関係が認められた。
* 2005年(平成17年)1月26日、小千谷市の旅館の屋根が雪の重みで崩れ落ち、宿泊客2名が死亡した。なお、死亡した宿泊客は災害復旧作業に来ていた土木建築会社の作業員であった。
 
==== 融雪による雪崩 ====
気候が温暖になるにつれ、融雪が始まった。特に2005年(平成17年)は地震により地盤が緩んだところに例年にない大雪が降ったため、[[雪崩]]による地震の二次災害が発生する事例があった。
* 2005年(平成17年)2月18日、[[刈羽郡]][[高柳町]]田代(現[[柏崎市]]高柳町田代)で雪崩が発生。近くの県道を走行していた軽貨物車が巻き込まれ、運転していた[[中魚沼郡]][[川西町 (新潟県)|川西町]](現[[十日町市]])の男性が死亡。また同日、同町山中の[[国道252号]]線付近の災害復旧現場でも雪崩が発生し、重機で作業中だった作業員の男性が死亡した。
* 2005年(平成17年)3月19日、小千谷市西吉谷で雪崩が発生し、土砂の混じった雪が近くを流れる茶郷川をせき止めた。溢れた水で近くの民家2棟が床上・床下浸水する被害が発生した。
 
==== 柏崎市を中心とする地震と水害 ====
* 2005年(平成17年)6月20日、13時ぎに中越地方を震源とする最大震度5弱(柏崎市高柳・長岡市小国)と4(柏崎市高柳)を観測する地震(中越地震の余震ではない別の地震)が相次いで発生し、中越地震の際に損傷を受けていた建物やゆるんでいた地盤が被害を受けた。
* 2005年(平成17年)6月28日、[[柏崎市]]内では、前日より降り続いていた雨が28日夕方まで降り続き、市内を流れる鯖石川や鵜川、谷根(たんね)川などの水が溢れ出し、住宅の床上浸水169件、床下浸水312件(2005年6月29日17時現在)などの被害が出た([[柏崎市]]発表)。中越地震や8日前の6月20日に発生した地震により、地盤が緩んでいる地域であったため、多くの箇所で土砂崩れや道路決壊などが発生した。
 
== 政府・各機関・施設の対応 ==
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* [[日本の消防|消防]]では、新潟県内の[[消防本部]]による消防応援が実施されたのとあわせて、総務省[[消防庁]]などの調整のもと、宮城県・山形県・福島県・茨城県・栃木県・群馬県・埼玉県・千葉県・東京都・神奈川県・長野県・山梨県・富山県・石川県・愛知県の消防本部から[[緊急消防援助隊]]が出動し被災地での災害活動が行われた。
:東京都隊として派遣された[[東京消防庁]]の[[消防救助機動部隊]](ハイパーレスキュー)が中心になり、長野県隊・栃木県隊などや新潟県内の消防本部[[特別救助隊|救助隊]]とともに、崖崩れの現場で救助活動を行い、地震発生から92時間後に崖崩れで埋没していた乗用車から2歳の男児を救助した<ref group="G">[http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11247966/www.fdma.go.jp/html/hakusho/h16/h16/html/16250k20.html 東京消防庁消防救助機動部隊(ハイパーレスキュー)について] - WARPによるアーカイブ</ref>。
:緊急消防援助隊の10月23日から11月1日の10日間の活動で453人(うち[[消防防災ヘリコプター]]による救出が282人)を救出。この震災で消防が得たものが、のちの[[特別高度救助隊]]・高度救助隊の発足と整備につながる。{{See|緊急消防援助隊#活動実績}}
* [[日本の警察|警察]]では、[[警察庁]]が各県警の[[広域緊急援助隊]]を出動させ災害現場の警備や救助活動、交通整理などを行った。
* [[災害救助犬]]は、各民間(ボランティア)協会より被災地に派遣され活躍したほか、崖崩れで数日間埋没していた乗用車から救出された現場には[[警視庁]]所有の[[警備犬]]レスター号([[シェパード|ジャーマンシェパード]]のオス、 - 2015年12月4日<ref group="N">{{Cite news|title=中越地震で生き埋めの男児発見、警備犬レスター号天国へ|newspaper=[[朝日新聞]]|date=2015-12-04|url=http://www.asahi.com/articles/ASHD465HVHD4UTIL04D.html|accessdate=2015-12-05<!--2015年12月4日 (金) 23:10 (UTC)-->}}</ref><ref group="N">{{Cite news|title=奇跡の犬・レスター号、死す 中越地震で2歳男児を92時間ぶり救出|newspaper=[[スポーツ報知]]|date=2015-12-05|url=http://www.hochi.co.jp/topics/20151205-OHT1T50001.html|accessdate=2015-12-05}}<!--2015年12月4日 (金) 23:10 (UTC)--></ref>)が投入された。<!--* なお、生存を最初に確認したのはレスター号ではなく東京消防庁ハイパーレスキューです。-->
421行目:
* 東京都の医師、[[看護士]]、[[救急救命士]]などによる災害医療チーム[[東京DMAT]]が被災地に入り医療活動を行った。
* 新潟県公安委員会は10月24日、関越自動車道・[[小千谷インターチェンジ|小千谷IC]] - [[長岡ジャンクション|長岡JCT]]間と、北陸自動車道・[[柏崎インターチェンジ|柏崎IC]] - [[三条燕インターチェンジ|三条燕IC]]間を緊急交通路に指定した(それぞれ復旧と同時に解除)。
* 通常は有料の県内の公営入浴施設を、避難者のために急遽無料で開放。各避難所単位で利用できる日時を指定したうえ利用希望者を送迎バスで入浴施設に運んでいた。だがしかし、震度3以上の余震が発生するたびに危険な損壊が起きていないかを調べるため、頻繁に施設の開放を一時中断せざるをえなかった。
* 居住施設提供:[http://saigai.pref.niigata.jp/content/jishin/ryokan.html 避難中の方への宿泊施設紹介(無料)]:高齢者、障害者、未就学児、妊婦、その他
* 11月26日に、[[平成16年台風第23号|台風23号]]とともに[[激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律|激甚災害]]に指定することが[[閣議]]決定され、12月1日より施行された。
* 2006年(平成18年)7月4日、旧山古志村(現長岡市)にある虫亀診療所が診療再開。
* 2006年(平成18年)7月6日、旧山古志村(現長岡市)にある種苧原診療所が診療再開。
* 2007年(平成19年)12月2日付の毎日新聞の報道によると、長岡市内の仮設住宅に同市の54歳の復興管理監が自分は入居資格がないにもかかわらず、2007年(平成19年)11月初めまで入居していたことが発覚した<ref group="N">{{Cite web|url=http://mainichi.jp/select/wadai/news/20071202ddm041040116000c.html|title=新潟中越地震:長岡・仮設住宅、市幹部が無資格入居 被災者カンカン「別荘なのか」|accessdate=2007-12-02|date=2007-12-02|work=毎日新聞|archiveurl=https://archive.is/20070514030407/http://mainichi.jp/select/wadai/news/20071202ddm041040116000c.html|archivedate=2007年5月14日|deadlinkdate=2017年10月}}</ref>。
* 2007年(平成19年)12月31日、すべての仮設住宅から住民が退去し閉鎖。<!--最後の一人は旧山古志村村長長島忠美衆議院議員-->
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{{雑多な内容の箇条書き|date=2019年6月|section=1}}
{{出典の明記|date=2019年6月|section=1}}
* 地震の発生直後から、[[東日本電信電話|NTT東日本]]と[[NTTドコモ]]は[[災害用伝言ダイヤル]]および[[iモード災害用伝言板サービス]]の提供を開始した。
** 災害用伝言ダイヤルは発生から数時間は回線が非常に混み合い、局番入力の段階で新潟県内市外局番の上3桁である「025」を入力すると「電話が混みあっている」旨のアナウンスが流れ、被災地域からの伝言の録音すらできない状態が続いた。
* [[日本放送協会|NHK]]では、教育テレビ(デジタル教育テレビ)、FM放送、デジタル教育テレビのデータ放送、FM文字多重放送で23日19時20分ごろから26日まで(25日未明1時までの連続29時間40分を含む 教育テレビは25日20時45分、FMラジオは26日2時30分まで)断続的に個人の[[安否情報]]を放送した。だが、デジタル教育テレビとデジタル衛星ハイビジョン(BShi)のデータ放送で24日午後、寄せられた情報が大量のため処理が追いつかず最新情報の更新がしばらくできなくなった<ref group="注">23日放送予定の「[[鶴瓶の家族に乾杯]]」は11月27日に延期された{{要出典|date=2016-07-09}}。なお、当時、デジタル教育テレビは、放送センター・大阪放送局・名古屋放送局・水戸放送局・富山放送局の放送エリアのみ、新潟放送局はデジタル放送が開始されていなかったため放送できなかった{{要出典|date=2016-07-09}}。</ref>。
* [[NHK新潟放送局]]では30日14時より、新潟県内の[[ラジオ]]放送のうちラジオ第1放送とFM放送の放送内容を同一にする措置が取られた。これはFM放送のほうが[[中波]] (AM) (AM)より受信状況がい地域があるため、被災地周辺に災害関連情報を確実に提供することを目的としたものである。この措置は11月6日5時まで続けられた(その他の震災関連報道体制については[[NHK新潟放送局#平成16年新潟県中越地震発生後の主な対応|NHK新潟・震災発生後の主な対応]]の項にて触れるを参照)。
* [[民間放送|民放]]各局は夕方の[[ニュース]]枠より通常放送を中止し(一部地域は19時から)、[[報道特別番組]]を深夜まで全国放送した<ref group="注">ただし、[[テレビ東京]]系では20時前後に番組を一時中断する程度で、8時30分以降は通常編成だった{{要出典|date=2016-07-09}}。[[TBSテレビ|TBS]]は地震当日の18時より[[MBSテレビ|毎日放送]]制作の「[[機動戦士ガンダムSEED DESTINY]]」・『PHASE-03 予兆の砲火』を18時より放映していたが、18時13分に放映中断し「JNN報道特別番組」に変更となった{{要出典|date=2016-07-09}}。このため、毎日放送では次週に第3話の再放送を行った(当日は「放送日に配信」を謳い文句にしていた『[[フレッツ#フレッツスクウェア|フレッツ・スクウェア]]』等でのネット配信も休止。遅れネット局ではその回を2週連続で放送し、同時ネットの局とペースを合わせている){{要出典|date=2016-07-09}}。10月26日放送予定だった[[ニッポン放送]]の特別番組『[[矢井田瞳]]の[[オールナイトニッポン]]』が延期となり、翌年9月に改めて放送された{{要出典|date=2016-07-09}}。</ref>。
* 小千谷市塩谷地区の住民一時帰宅に際し、行政から取材自粛を求められていたにもかかわらず[[関西テレビ放送|関西テレビ]]のスタッフ(記者やカメラマンら3人)がボランティアを装って立ち入り、取材活動をしていたことが判明。小千谷市側が関西テレビに抗議する事態に発展した{{要出典|date=2016年7月9日 (土) 13:10 (UTC)}}。
* 土砂災害により、孤立地区となった同県長岡市蓬平地区において26日、[[毎日新聞]]のスタッフ6名が航空自衛隊のヘリコプターで救助されていたことが判明した。県災害対策本部は「孤立地区に入り込んだ経緯は分からないが、自ら入り込み、帰りは救助ヘリというのであれば、救助活動の著しい妨げとなる」として、報道各社に抗議した{{要出典|date=2016年7月9日 (土) 13:10 (UTC)}}。
* 家屋破損被害と周辺道路寸断による孤立が特に目立ったとされる小千谷市山古志村とその避難所では、交通復旧直後から報道機関が集中的に報道することが多くなり、TV中継を見た全国の視聴者からこの地区への支援も集まったが、同規模かそれ以上の被害を受けながら報道される機会が少なかったほかの地区では「山古志や小千谷ばかりじゃない。自分の地区の被害も伝えてほしい」と報道の不公平を訴える声も起きた{{要出典|date=2016年7月9日 (土) 13:10 (UTC)}}。
* 一時孤立した地区を含む県内全域で救援活動が開始された直後から、県や市町村による広報活動も本格的に再開。県市町村ウェブサイト上に掲載したり、今後の復旧計画や被災した住民への支援内容の説明会を各地で順次行ったりしたが、自宅やインターネット回線の被害もあってインターネットから自力で情報収集できた人間は少なく、各地区住民への事前連絡も十分には行き渡らなかった。これに気付いた県外のボランティアらがインターネットで新潟県公式サイトにアクセスして得た県内情報や、県外および中央官庁の情報を、電話復旧直後から被災地の知人に電話で伝えることで補った{{要出典|date=2016年7月9日 (土) 13:10 (UTC)}}。
* [[総務省]]および信越[[総合通信局]]は長岡市から出されていた同市の[[コミュニティ放送|コミュニティーFM放送]]・[[長岡移動電話システム|FMながおか]]の電波を利用して被災地の被害・復旧状況を詳細に報道する[[臨時災害放送局]]に対して免許を10月27日に交付し、当日7時の放送より通常の20 - 50 W50Wに臨時増強して放送を開始した。また、同じく十日町市から出されていた同市の地震災害関係の[[臨時災害放送局|臨時災害用FM放送局]]([[十日町市災害FM局]])に対して[[予備免許]]を10月28日に交付し、同日より周波数76.6 MHz6MHz、出力10 W10Wで放送を開始した。
 
=== ライフライン ===
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{{独自研究|section=1|date=2016年7月9日 (土) 13:10 (UTC)}}
; [[コンビニエンスストア]]
: 地震発生後、新潟県内で営業していたコンビニの一部店舗で弁当やおにぎり、サンドイッチやパン類のうち販売期限が過ぎて通常は廃棄する商品も引き続き販売していた店舗もあった。これは店舗が被災せず通常営業可能であった状態ながら、周辺道路が寸断されて商品入荷が止まったため、各店舗に残っていた在庫すべてが売り切れたあとも商品補充のめどが立たず、地域住民に少しでも役立てばとの理由で店舗オーナーの判断で期限がおにぎりや弁当なら24時間、パン類は2日間までは期限切れ商品も販売しようと店舗に陳列した。
; [[ガソリンスタンド]]
: 店舗・施設に影響が出ていない店舗は地震発生後も営業を継続していたが、給油中に余震発生した場合の被害を少しでも減らす目的で、給油中は運転者と同乗者全員を屋根のない店の敷地外に出てもらい、従業員だけが店内で車やバイクに給油をするという形をとった。
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* 10月24日 - 2005年(平成17年)1月4日:中越 - 関東間の地上交通機関(新幹線・上越線・関越道・国道17号など)による途絶などの回避のため、[[日本航空]]と[[全日本空輸|全日空]]にて、[[東京国際空港]](羽田) - [[新潟空港]]間の臨時便を多数(2社の合計で、8往復 - 10往復/日)運行。
* 10月27日 - :支援物資の運搬など、支援活動を行う自衛隊、警察、自治体、電力会社など、航空機運行の急増への対応のため、当分の間、新潟空港を24時間運用とする。
* 2005年(平成17年)1月5日:地上交通機関の復旧にともない、臨時便の運行を終了。
 
=== 鉄道 ===
{{出典の明記|section=1|date=2016年7月9日 (土) 13:10 (UTC)}}
2004年(平成16年)12月27日に全在来線、12月28日から上越新幹線を含む全鉄道路線が運転再開した
* [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)
**[[上越新幹線]]
***震源地付近の魚沼トンネル・滝谷トンネルなど4つの[[トンネル]]内では路盤隆起・コンクリート塊の崩落、高架橋部分では強烈な振動により瞬間的に破壊された箇所([[せん断|剪断]])が確認され、早期の運行再開は困難な状態にあった。
*** 10月23日:全線運転見合わせ
*** 10月24日:東京 - 越後湯沢間で運転再開(不通 = 越後湯沢 - 新潟間)
*** 10月30日:燕三条 - 新潟間で運転再開 返し運転開始(不通 = 越後湯沢 - 燕三条間)
*** 10月31日:不通区間の代行バス運行開始。
*** 11月4日:燕三条 - 長岡間で運転再開(不通 = 越後湯沢 - 長岡間)
*** 12月28日:臨時ダイヤで全線運転再開(徐行運転区間 = 越後湯沢 - 燕三条間)
*** 2005年(平成17年)
*** 1月22日:臨時ダイヤ変更。徐行区間を浦佐 - 長岡間へ縮小。
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** [[上越線]]
***旅客(ローカル・夜行)・[[貨物列車]](首都圏 - 新潟・秋田・北陸方面の幹線)の重要路線であるが、上越新幹線と並列する震源地付近で路盤の崩落や土砂崩れなどにより寸断された。寸断中は、信越本線・越後線などを利用した迂回列車が運転された。
*** 10月23日:水上 - 長岡間で運転見合わせ
*** 11月2日:水上 - 六日町間で運転再開(不通 = 六日町 - 長岡間)
*** 11月13日:六日町 - 小出間で運転再開(不通 = 小出 - 長岡間)
*** 12月27日:全線運転再開(ただし越後川口 - 越後滝谷間で単線運転。越後湯沢 - 長岡間に遅延と運休あり、貨物列車の一部は迂回運転継続)
*** 2005年(平成17年)3月25日:越後川口 - 越後滝谷間で複線運転を再開。ただし速度制限あり。貨物列車の迂回運転はすべて終了。一部旅客列車は引き続き運休。
*** 2005年(平成17年)6月16日:越後川口 - 越後滝谷間の徐行が一部を除き解除され、ようやくほぼ震災前の運転に戻る。
** [[只見線]]
*** 10月23日:只見 - 小出間で運転見合わせ
*** 11月20日:全線運転再開
** [[信越本線]]
*** 10月23日:柏崎 - 東三条間で運転見合わせ
*** 10月26日:長岡 - 東三条間で運転再開(不通 = 柏崎 - 長岡間)
*** 11月29日:全線運転再開(ただし柏崎 - 宮内間で時速45 km/hキロの徐行運転。一部列車は引き続き運休。代行バスも一往復継続)
*** 12月13日:柏崎 - 宮内間の速度制限を時速65 km/hキロに緩和。上越線直通列車以外は全列車運転再開。代行バスも運行終了。
** [[飯山線]]
*** 10月23日:森宮野原 - 越後川口間で運転見合わせ
*** 10月29日:森宮野原 - 十日町間で朝・夕時間帯のみ運転再開(不通 = 十日町 - 越後川口間)
*** 12月27日:全線運転再開(十日町 - 越後川口間では速度制限のため、遅延・一部運休あり)
** [[越後線]]
*** 10月23日:吉田 - 柏崎間運転見合わせ
*** 10月26日:全線運転再開
** [[北陸新幹線|長野新幹線]]・[[磐越西線]]・[[米坂線]]・[[弥彦線]]・[[白新線]]の全線、[[羽越本線]](新津 - 酒田間)
*** 一時運転を見合わせた。
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=== 高速道路 ===
{{出典の明記|section=1|date=2016年7月9日 (土) 13:10 (UTC)}}
* 10月24日、発災から19時間後に応急復旧による緊急車両通行開始。上述のとおり、[[緊急交通路]]に指定されていたため、一般車両の通行止は継続。
* 10月26日、[[北陸自動車道|北陸道]]の通行止が解除される。
* 10月27日、[[関越自動車道|関越道]]は緊急車両が通行できる2車線を確保、一般車両は引き続き通行止
* 11月5日、関越道の[[小出インターチェンジ|小出IC]] - [[長岡インターチェンジ|長岡IC]]間が開通、一般車両の通行止解除。首都圏との大動脈が復旧した。六日町IC - 長岡ICは2車線で仮復旧のため、速度も厳しく規制された。この時点では、[[越後川口サービスエリア]]は[[ガソリンスタンド]]のみの営業だった。
* 11月26日、4車線で復旧。長岡IC - 小出IC間は橋梁の損傷が著しいため、車両総重量25トンを超える車両は通行できず、[[上信越自動車道|上信越道]]などを迂回していた。
* 2005年(平成17年)12月26日、完全復旧、上記の25トン規制も解除となった。
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{{出典の明記|section=1|date=2016年7月9日 (土) 13:10 (UTC)}}
一般車両の通行止め状況:<!--<ref group="G">{{PDFlink|[http://www.hrr.mlit.go.jp/road/niigata/ 状況]}}(国土交通省道路局提供)</ref>-->
* [[国道]]78所、[[都道府県道|県道]]163所、[[市町村道]]845所で通行止となった。その他の箇所でも通行規制が敷かれている箇所ところがある。
**国道17号線では和南津トンネルが崩落のため通行止めになり、上記の高速道路の通行止めや通行制限が複合条件となり、湯沢-関東地方からの大型車の流通が著しく制限され、12月に2車線復旧するまでは2か月ほど大規模な渋滞が続いていた。
* [[道の駅]]は、避難所などの拠点として利用された。[[File:20060903 Japan National Route 291.jpg|thumb|2006年9月3日16時30分の国道291号復旧を知らせる道路標識。]]
 
* 2006年(平成18年)9月3日、[[国道291号]]の復旧により、国道はすべての被災箇所が復旧。県道についても、2007年(平成19年)12月までにすべて復旧した。
 
=== 高速バス ===
{{出典の明記|section=1|date=2016年7月9日 (土) 13:10 (UTC)}}
[[新潟市]]を中心に県内外各方面へ路線網を有する新潟県内の[[高速バス]]は、地震発生直後から10月26日にかけ、一部を除くほぼ全路線で運休した。また[[大積パーキングエリア|大積バスストップ]]、[[片貝バスストップ]]、[[越路バスストップ]]は施設損壊により供用を休止した。その後の復旧により新潟県内線・県外線とも段階的に通常運行を再開し、損壊した前述の3所の高速バス停留所も復旧後に順次供用を再開した。
 
* 10月27日より、県内線と新潟市 - 県外線は通常通り運行。東京方面は磐越道を経由した。
* 10月29日より、新潟駅 - 十日町線が、関越道経由で運行再開(11月2日から増便)。
* 10月30日より、[[西武バス]]・[[新潟交通]]・[[越後交通]]・[[頸城自動車]]が共同運行する、関越道経由で首都圏と新潟県内を結ぶ長距離[[高速バス]]([[東京 - 新潟線]]、[[東京 - 上越線]])が通常運行。このとき関越道は緊急交通路として指定され一般車両は通行止だったが、特例として運行が認められた。
* 10月31日より、上越新幹線の不通区間である、燕三条駅 - 越後湯沢駅間(11月3日まで)、長岡駅 - 越後湯沢駅間の代行バスも、関越道経由で運行開始。
* 11月5日午後に、[[大和パーキングエリア]]内に臨時バス停が設置され、高速バスの新潟駅 - 六日町 - 十日町線の全便と、上越新幹線の代行バスが停車していた。
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=== 被災者・ボランティア支援(割引運賃)の交通機関 ===
{{出典の明記|section=1|date=2016年7月9日 (土) 13:10 (UTC)}}
; フェリー(50 %パーセント割引)
: 対象:被災者・その家族・その親族、ボランティア
: 路線:[[博多港|博多]] - [[直江津港|直江津]] - [[室蘭港|室蘭]](博多 - 直江津は九越フェリー、直江津 - 室蘭は[[東日本フェリー]]の運航)
: 船舶:「ニューれいんぼうべる」「ニューれいんぼうらぶ」
: 期間:12月30日まで
; 高速道路
: 通行前に各県から災害派遣等従事車両証明書の発行を受けた緊急救援物資運搬車両に限り無料
: 期間:12月31日まで
 
== 社会的な影響 ==
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[[日本プロ野球]]では、地震発生当時は[[中日ドラゴンズ]]と[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]の[[2004年の日本シリーズ|日本シリーズ]]の真っ最中であったが、地震発生翌日の10月24日の第6戦では試合前の黙祷などは行われず、試合前に[[ナゴヤドーム]]の[[オーロラビジョン]]に[[日本野球機構]](NPB)・中日ドラゴンズ・西武ライオンズ名義での「新潟県中越地震で被災された皆様にお見舞い申し上げます」という掲示に留められた<ref group="N">[[中日新聞]]2004年10月25日朝刊 {{full|date=2016-07-09}}</ref>。また、日本シリーズ勝者の西武は[[ビールかけ]]を自粛せず予定通り実施した。なお、中日の選手会は24日、被災地に寄付金100万円を贈ると発表した。中日の[[井端弘和]]選手会長(当時)は「できる限りのことはしたかった。新潟にも中日ファンはいると思いますので、あとはいいゲームを見せたい」と話した<ref group="N">[http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041024-00020540-jij-spo 中日選手会、地震被災地に100万円寄付=プロ野球] - [[時事通信]](2004年10月24日 17時30分 更新){{リンク切れ|date=2015年12月}}</ref>。
 
[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]は、10月30日に新潟スタジアム(ビッグスワン)で開催する予定だった[[アルビレックス新潟]]対[[柏レイソル]]の試合について、余震活動への警戒と復旧作業との同時進行での混乱(スタジアムの駐車場を自衛隊が災害支援拠点として使用していたため)を考慮して延期、代替試合を11月10日に[[国立霞ヶ丘陸上競技場]]で開催した。また同じく新潟開催で予定されていた天皇杯4回戦[[湘南ベルマーレ]]戦を[[平塚競技場]]での開催に振り替えた。なお、同月20日の[[FC東京]]戦、28日の[[セレッソ大阪]]戦の第2ステージのホーム2試合は新潟スタジアムで開催された。また、[[Jサテライトリーグ]]で10月31日に開催予定だったアルビレックス対[[大宮アルディージャ]]戦([[新発田市五十公野公園陸上競技場]])の開催中止と、[[Jリーグユース選手権大会|Jユースカップ]]の出場辞退を発表した。なおJユースカップについては、すでに開催している試合の記録は有効とし、残り試合は0-3でアルビレックスの敗戦扱いとみなした{{要出典|date=2016年7月9日 (土) 13:10 (UTC)}}。
* 対象となった試合
** 10月24日 [[ジュビロ磐田]](ホーム戦)
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=== テレビ ===
地震のシーンが多いテレビ番組は放送を中止または延期するなどした。たとえば、地震の2日後の10月25日に放送予定だった[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]制作の『[[ブラック・ジャック (テレビアニメ)|ブラック・ジャック]]』の第3話「Karte03: Karte03:ひったくり犬」は本編に地震のシーンが多かったことから放送延期とされ、冒頭で事情を説明したうえで『Karte00: Karte00:オペの順番』の再放送を行った。なお、「ひったくり犬」は2006年に放送された{{要出典|date=2016年7月9日 (土) 13:10 (UTC)}}。また、11月4日放送予定だった[[テレビ東京]]制作の『[[ポケットモンスター アドバンスジェネレーション]]』でも地震のシーンがあったことから、新潟県の一部でテレビ東京が視聴できる地域があることも配慮して翌週(11月11日)放送予定だった回を繰り上げて放送した。なお、現在でもこの話は放送されていない{{要出典|date=2016年7月9日 (土) 13:10 (UTC)}}。(いわゆる[[欠番]]。また、[[ポケモン図鑑]]から封印されている{{要出典|date=2016年7月9日 (土) 13:10 (UTC)}}。)
 
=== その他 ===
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== 復旧支援・見舞金・復旧費用など ==
* 新潟県に寄せられた義援金は373億65776,57734013,401円におよんだ<ref group="G">{{PDFlink|[http://www.pref.niigata.lg.jp/HTML_Article/981/54/daisinnsai%20giennkinn%20result%20hp.pdf 新潟県中越大震災義援金の受入・配分結果報告]}} - 新潟県</ref>。
* ボランティア、のべ9万4,976人(2007(2007年10月31日時点)<ref group="G">[http://www.pref.niigata.lg.jp/bosai/chuetsu_daishinsai.html 新潟県中越大震災に関する情報] - 新潟県防災局.2019年6月30日閲覧。</ref>
 
応急対策に一定のめどがついた平成20年4月4日、「新潟県中越大震災災害対策本部」は解散した<ref group="G">[http://www.pref.niigata.lg.jp/kikitaisaku/1207242084965.html 「新潟県中越大震災災害対策本部」を解散しました。] - 新潟県防災局危機対策課.2019年6月30日閲覧。</ref>。
 
=== 復旧費用 ===
{{要検証範囲|地震から6年後の2010年10月までの復旧費用の総額は20002,000億円以上で、内訳は道路や河川や土砂災害復旧などの公共土木施設に約12931,293億円、農地や農業用施設に約341億円などである|date=2016年7月9日 (土) 13:10 (UTC)}}<ref group="N">[http://mytown.asahi.com/areanews/niigata/TKY201010220441.html 追悼そして復興へ 中越地震発生から6年、各地で行事 朝日新聞2010年10月23日] {{要検証|date=2016-07-09}}</ref>。
 
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{{出典の明記|section=1|date=2016年7月9日 (土) 13:10 (UTC)}}
* 各国政府など
** [[中華民国|台湾]](200万円、8万米ドル)
** [[アメリカ合衆国]](5万米ドルおよび軍よりビニールシート1万枚)
** [[大韓民国|韓国]](10万[[米ドル]])
** [[ロシア]]大使館(協力:[[ヴァレリー・ゲルギエフ]]、[[ウィーン・フィル]])(1,083万円)→新潟県
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=== 著名人からの見舞金など ===
{{出典の明記|section=1|date=2016年7月9日 (土) 13:10 (UTC)}}
* [[細木数子]]([[クイズ$ミリオネア]][[賞金]] 10001,000万円)
* [[堀江貴文]](クイズ$ミリオネア賞金 10001,000万円)
* [[Mr.Children]](1000(1,000万円)
* [[電車男|中野独人]](1000(1,000万円)「[[電車男]]」の漫画化・映画化による[[著作権]]使用料。
* [[小林幸子]](推定500万円以上)[[紺綬褒章]]の受章に基づく。自身の出身地でもあることから2005年(平成17年)8月には新潟スタジアムにて小林幸子チャリティーマッチも開催するなど精力的な支援活動を行い、翌年8月に国土交通大臣表彰を受けた。
* [[森進一]]、[[森昌子]](500万円)
* [[大黒摩季]]ファンクラブ(137万65486,548円)
* [[松山千春]](100万円)
* [[天童よしみ]](100万円)
* [[加山雄三]](100万円)
* [[仲間由紀恵]](100万円)
* [[チェ・ジウ]](1万米ドル 個人が携行出来る[[外貨]]の上限)
* [[ペ・ヨンジュン]](3000万円)
このほか[[スパーク3人娘]]([[園まり]]、[[中尾ミエ]]、[[伊東ゆかり]])が自立支援目的で山古志村内の[[田畑]]に[[米]]を植え、その田畑で[[稲刈り]]した米を特別に販売し売上の一部を復興基金にてるなどの援助もあった。
 
=== 諸国からの見舞状 ===
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=== 競輪 ===
{{出典の明記|section=1|date=2016年7月9日 (土) 13:10 (UTC)}}
2005年5月21日と22日の両日にわたり[[松戸競輪場]]で開催された、[[全日本プロ選手権自転車競技大会記念競輪]]のサブタイトルに『新潟県中越地震復興支援』がつけられ開催。
 
=== 復興宝くじ ===
{{出典の明記|section=1|date=2016年7月9日 (土) 13:10 (UTC)}}
復旧費用にてるため新潟県中越大震災復興宝くじが発売された(2005年4月11日 - 4月26日)。
 
== 震災後の様々な動き ==
=== ペットを題材とする作品 ===
この新潟県中越地震で被災・避難した2頭の犬が、書籍が刊行されるなどして広く知られている。1頭は山古志村にいた「マリ」で、全村民が村外避難を余儀なくされたことで、マリをはじめとする犬などのペットは置き去りとなった<ref name="山古志住民会議">{{Cite web|url=http://www.yamakoshi.org/culture/culture06.html|title=新潟県中越地震|accessdate=2016-06-25|work=山古志のカルチャー|publisher=山古志住民会議|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130718114130/http://www.yamakoshi.org/culture/culture06.html|archivedate=2013-07-18}}</ref>。地震後4日目からは獣医師などがヘリで村に入り、犬や猫への給餌を開始した<ref group="N">{{Cite news|title=いつもそばに 震災とペット (5) 避難所 中越の経験生かす|newspaper=読売新聞 岩手版|date=2015-02-28|url=http://www.yomiuri.co.jp/local/iwate/feature/CO013911/20150227-OYTAT50069.html|accessdate=2016-06-25}}</ref>。マリは地震当日の朝に出産していた3匹の子犬を守りつつ16日後に救助された。しかし避難所にはペットは入れず、マリと子犬たちは一時飼い主と離れることとなった<ref group="N">{{Cite web|url=http://www.ntv.co.jp/don/contents03/2010/12/2007128.html|title=きょうは何の日「2007年12月8日 映画『マリと子犬の物語』が上映された日」|accessdate=2016-06-26|date=2010-12-08|work=DON!|publisher=日本テレビ}}</ref>。マリの話は絵本で紹介され、2007年には『[[マリと子犬の物語]]』として映画化された<ref name="山古志住民会議" />。もう1頭は小国町にいた盲導犬の「クララ」で、視覚障害者の女性とともに避難所に入った。避難所での動物の受け入れについて定めたマニュアルはなかったが担当職員が許可し、避難所にいた住民も犬を受け入れた。クララは避難所に盲導犬が入った日本初の事例であり<ref group="N">{{Cite news|title=阪神大震災13年:災害弱者・あなたの隣に/上 避難所の盲導犬受け入れ態勢|newspaper=毎日新聞 滋賀版|date=2008-01-16|author=蒔田備憲|page=24|quote=''04年の新潟県中越地震で、「クララ」...と暮らす(引用略)さん...の自宅が半壊した。避難所には、...一時は約200人が集まっていたが、当時の担当職員はクララと一緒に避難所に入ることを認めた。...住民は拍手で歓迎した。クララは全国で初めて避難所に入った盲導犬になった。''}}</ref>、2005年に出版された『震災にあった盲導犬クララ』で紹介された<ref>{{Cite book|和書|author=石黒謙吾・構成|title=震災にあった盲導犬クララ|date=2005-10|publisher=[[双葉社]]|isbn=978-4-575-29845-1}}</ref>。新潟県中越地震で被災した犬は約2,000頭、猫は約3,000匹と推定されている<ref group="G">{{Cite web|url=http://www.pref.niigata.lg.jp/seikatueisei/1356811015428.html|title=記録集:新潟県中越大震災 動物救済本部活動の記録|accessdate=2016-06-25|date=2015-04-23|publisher=新潟県|page=2}}</ref>。
 
=== 歌と復興祈願花火 ===
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地震発生後から、[[平原綾香]]のデビュー曲「[[Jupiter (平原綾香の曲)|Jupiter]]」が新潟県内のラジオ局でたびたびリクエストされた<ref group="G" name="広報ぼうさい21">{{Cite web|url=http://www.bousai.go.jp/kohou/kouhoubousai/h21/09/active.html|title=Active Woman file 「ミュージシャン 平原綾香さん」|accessdate=2016-07-09|date=2009-09|work=平成21年度 広報ぼうさい|publisher=[[内閣府]]}}</ref>。被災地の復興を応援する歌となっていることを知った平原は、その後たびたび被災地を慰問に訪れた。こうした縁から、2007年公開の新潟県中越地震を題材とする映画『マリと子犬の物語』の主題歌の作詞と歌唱を平原が手がけることとなった<ref name="東宝20070803">{{Cite web|url=http://www2.toho-movie.jp/movie-topic/0708/02maritokoinu_sh.html|title=「マリと子犬の物語」の主題歌が平原綾香さんに決定!|accessdate=2016-07-09|date=2007-08-03|work=-MOVIE Topics|publisher=[[東宝]]}}</ref>。
 
被災翌年の2005年(平成17年)以降の[[長岡まつり]]大花火大会で打ち上げられている復興祈願花火「フェニックス」では、「Jupiter」がBGMとして使われている<ref group="G" name="広報ぼうさい21" /><ref name="東宝20070803" />。「Jupiter」は約6分の歌だが、「フェニックス」の打ち上げ時間に合わせて約3分に短縮されている(地震から10年目の2014年はフルバージョンで演奏し打ち上げ時間が5分強となった<ref>{{Cite web|url=https://nagaokamatsuri.com/learn/history/|title=歴史年表|accessdate=2019-06-30|work=「長岡花火」公式ウェブサイト|publisher=長岡まつり協議会事務局}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10181192/www.city.nagaoka.niigata.jp/shityo/kaiken/file/20140728-2-1.pdf|title=震災復興10年。フェニックス10とともに感謝の気持ちを込め長岡まつり大花火大会を開催|accessdate=2016-07-09|author=長岡市商工部まつり振興課ほか|date=2014-07-28|format=PDF|work=記者会見資料 No.2|publisher=長岡市|quote=''打ち上げ時間は「ジュピター」のフルバージョンに合わせ5分10秒(例年は約3分)''}} - WARPによるアーカイブ</ref>)。2005年(平成17年)8月<!--3日(-->の花火大会<!--2日目)-->には平原が来場し、<!--花火大会に先立って-->この曲をライブで歌った<ref group="G" name="広報ぼうさい21" />。
 
=== メモリアル施設 ===