「二階堂トクヨ」の版間の差分

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* 養女:二階堂美喜子
** [[1919年]](大正8年)[[6月25日]] - [[1949年]](昭和24年)[[9月23日]]{{sfn|西村|1983|p=10}}。トクヨの妹・とみの子(次女{{sfn|二階堂・戸倉・二階堂|1961|p=212}})、すなわちトクヨの[[姪]]であるが、死期を悟ったトクヨに{{sfn|穴水|2001|p=27}}1941年(昭和16年)4月14日付で{{sfn|西村|1983|p=10}}半強制的に養女にされる{{sfn|穴水|2001|p=27}}。美喜子はトクヨの資金援助で[[日本女子大学]]家事科を卒業させてもらい{{sfn|二階堂・戸倉・二階堂|1961|p=212}}、卒業後すぐに{{sfn|二階堂・戸倉・二階堂|1961|p=212}}死を目前にしたトクヨの身の回りの世話を任され、医師・看護師以外では唯一人、臨終の瞬間を看取った{{sfn|穴水|2001|pp=143-150}}。トクヨから後を託されるも{{sfn|穴水|2001|p=27}}、1949年(昭和24年)に[[薬物中毒]]で30歳の若さで急逝する{{sfn|西村|1983|p=10}}。
* 義理の息子:二階堂直富
** トクヨの養女・美喜子の夫<ref name="yu5101">「名門に春寒い学校騒動 学長、養嗣子が対立 日本女子体育大学 “二階堂遺産”めぐって」読売新聞1951年1月29日付朝刊、3ページ</ref>。トクヨの死後に美喜子と結婚し、2児をもうける<ref name="yu5101"/>。トクヨ亡き後の体専は、美喜子理事長・清寿校長・直富の三頭体制になり、美喜子の死に伴いトクヨの財産を継承する<ref name="yu5101"/>。体専の校舎や敷地はトクヨの個人名義になっていたため、これを継承した直富の発言権が増すこととなった<ref name="yu5101"/>。
 
== 著書 ==