「石那坂の戦い」の版間の差分

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===飯坂説===
[[佐藤基治]]の本拠地である。[[飯坂町|飯坂]]の地名由来は1300年頃<ref>日本歴史地名大系第七巻「福島県の地名」P663福島市上飯坂村</ref>であり、石那坂の戦い(1189年)の時点で、飯坂の古名は不明である。佐藤庄司は阿武隈川の支流である小川・赤川・[[摺上川]]を堀に見立て、[[大鳥城]]に陣を構えていたとする説である<ref>石那坂 [[石原洋三郎]] 平成29年8月第一出版印刷</ref>。[[吾妻鏡]]では、[[源頼朝]]軍は7月29日[[白河関]]を越えて、8月7日に国見駅に到着した。8月8日[[阿津賀志山の戦い]]が行われているが、同日に石那坂の戦いが行われている。大鳥城はかつて、伊達郡に隣接していた。
 
===その他の説===