「乃木希典」の版間の差分

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→‎司馬遼太郎への反論と乃木擁護論: 「特に、司馬遼太郎の主張に対する反論として、桑原嶽(1919年(大正8年) - 2004年(平成16年)。陸士52期、陸軍少佐、陸将補。退官後に中央乃木会事務局長。)『名将 乃木希典(第五版)』(中央乃木会、2005年)および別宮暖朗『旅順攻防戦の真実』(PHP文庫、2006年)があり、以下のように述べて乃木を擁護している。」出典を提示して、桑原嶽について括弧書きで説明を加筆。
人物・逸話-その他:「元帥と表記されることがあるが乃木は元帥ではない、乃木は生前に元帥に推挙されたが固辞した」という趣旨の無出典の記述を、出典を提示して「現役の陸軍大将として軍事参議官に親補されていた乃木は、1912年(大正元年)に明治天皇に殉死した。仮に乃木が明治天皇に殉死しなかったら、という前提で、乃木がいずれ元帥府に列せられたかどうかにつき、横山恵一は「歴戦の功将、人格高潔な武将という点で元帥を選考するなら、乃木は将に将たる器で、選に入ったのではないですか。」と述べ、秦郁彦は「〔乃木が〕生きていれば大正四年〔1915年〕に長谷川好道、貞愛親王、川村景明といっしょにね。」と述べている。」と述べている。」に置換。
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==== その他 ====
現役の陸軍大将として軍事参議官に親補されていた乃木は、[[1912年]](大正元年)に明治天皇に殉死した。仮に乃木が明治天皇に殉死しなかったら、という前提で、乃木がいずれ[[元帥府]]に列せられたかどうかにつき、横山恵一は「歴戦の功将、人格高潔な武将という点で元帥を選考するなら、乃木は将に将たる器で、選に入ったのではないですか。」と述べ、[[秦郁彦]]は「〔乃木が〕生きていれば大正四年〔[[1915年]]〕に[[長谷川好道]]、[[伏見宮貞愛親王|貞愛親王]]、[[川村景明]]といっしょにね。」と述べている<ref>{{Harvnb|半藤|2013|p=|pp=|loc=位置No. 1714/1990, 第四章 日露の戦いのなかで-乃木希典 - 仁将の誕生}}</ref>。
幾つかの文献で元帥と表記されているが、乃木が元帥だった事実は無い。その功績により、元帥の称号を賜る話は当然にして在ったが、多くの兵士を死なせてしまったことや、先の軍旗喪失の失態に対する反省などもあり、乃木本人が固辞したためである。
 
当該録音に先立つ明治42年([[1909年]])10月15日には、同じ偕行社で行われた加藤清正300年祭に関する第1回目の相談会で湯地敬吾が乃木の演説の録音に挑戦したが、この時の録音は復元が試みられたものの、最終的には再生は不可能だった{{Sfn|志甫|2008|p=95-96}}。
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* {{Citation |和書 |last=秦 |first=郁彦 編著 |authorlink=秦郁彦 |year=2005 |title=日本陸海軍総合事典 |edition=第2 |publisher=東京大学出版会}}
* {{Cite book|和書|author=[[半藤一利]]|coauthors=横山恵一、[[秦郁彦]]、[[原剛 (軍事史家)|原剛]]|year=2009|month=1|title=歴代陸軍大将全覧 明治篇|series=中公新書ラクレ 303|publisher=中央公論新社|isbn=978-4-12-150303-9|ref={{Sfnref|半藤ほか|2009}} }}
*{{Citation|和書|title=歴代陸軍大将全覧 明治編|year=2013|last=半藤|first=一利 他|authorlink=半藤一利|series=|edition=[[Amazon Kindle]]|publisher=[[中央公論新社]]|ref=harv }}
* {{Cite book|和書|author=[[福井雄三]]|title=「坂の上の雲」に隠された歴史の真実-明治と昭和の虚像と実像|year=2007|month=12|publisher=主婦の友社|edition=文庫版|isbn=978-4-07-258856-7|ref={{Sfnref|福井|2007}} }}単行版は2004年刊。
* {{Cite book|和書|author=福岡徹|year=1970|title=軍神 乃木希典の生涯|publisher=文藝春秋|ref={{Sfnref|福岡|1970}} }}