「鉄血演説」の版間の差分

「鉄血演説が奏功して予算が可決された」という記述は誤りである(可決されたのであれば無予算統治をおこなう理由がない)。
(「鉄血演説が奏功して予算が可決された」という記述は誤りである(可決されたのであれば無予算統治をおこなう理由がない)。)
'''Eisen und Blut'''.}}<ref>Zitiert nach: Wilhelm Schüßler (Hrsg.), Otto von Bismarck, Reden, 1847-1869, in Hermann von Petersdorff (Hrsg.) Bismarck: Die gesammelten Werke, Band 10, Berlin: Otto Stolberg, 1924-35, S. 139-40.</ref>
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これが後に「鉄血演説」と呼ばれることになる演説である。この演説は、小ドイツ主義自由主義者が思い描く外交目標を代弁したものであったが、議会を軽視するものとして大きな反発を招いた。結果として議会は予算を承認しなかったが、ビスマルクは「予算不成立の場合の措置は憲法に規定されていないが、予算不成立だからといって政府が国家運営を停止させることは政府の職責上 不可能であり、それゆえに政府は主権者であるプロイセン国王の負託に基づき国家運営を行うべきである」とする[[空隙説]]を唱えて無予算統治に踏み切った。に<!--この演説が奏功してプロイセン議会は予算を可決。-->以後、ビスマルクは「'''鉄血政策'''」と呼ばれる富国強兵・対外強硬策を推進して、ドイツ統一へと邁進することになる。
 
== 注 ==