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|職業 = [[バレリーナ]]
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'''森下 洋子'''(もりした ようこ、[[1948年]][[12月7日]] - )は、[[日本]]の[[バレリーナ]]。[[広島県]][[広島市]][[江波 (広島市)|江波]](現[[中区 (広島市)|中区]]江波)出身の[[バレリーナ]]
 
== 人物 ==
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正確なテクニックと演技力で、海外の多くのステージでプリマとして客演を務め、[[イギリス|英国]]、アメリカ、[[中国]]などで主演公演『[[白鳥の湖]]』『[[ジゼル]]』『[[くるみ割り人形]]』『[[ドン・キホーテ]]』『[[眠れる森の美女 (チャイコフスキー)|眠れる森の美女]]』他を行い多くの観衆を魅了、世界のプリマバレリーナとして活躍。また海外の国際バレエコンクールの審査員もつとめる。松山バレエ団団長<ref name="praemiumimperiale" />。世界のバレエ団からのオファーを断り日本を拠点に活動している<ref name="praemiumimperiale" />。既にバレエ歴は60年を超え還暦を過ぎた現在もバレリーナとして活動し続けている<ref name="praemiumimperiale" />。長くステージを務めているダンサーとして知られているのは、森下の他には[[マイヤ・プリセツカヤ]]があげられる。
 
夫は松山バレエ団総代表の[[清水哲太郎]]。父は著名な[[フィールドホッケー]]選手で、広島県ホッケー協会会長を務めた[[森下準]]<ref name="chugoku-4">{{cite web|url=http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=55736|title=『生きて』 バレリーナ 森下洋子さん(1948年~) <4> 家族の支え|publisher=中国新聞|date=2016-01-22|accessdate=2016-04-22}}</ref>。祖母・母ともに[[広島市への原子爆弾投下]]での[[被爆者]]で、森下自身は被爆2世になる<ref>{{cite web|url=http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=55750|title=『生きて』 バレリーナ 森下洋子さん(1948年~) <5> 祖母の背中|publisher=中国新聞|date=2016-01-23|accessdate=2016-04-22}}</ref>。2人姉妹で、6歳下の妹がいる<ref name="chugoku-2" />。
 
[[日本放送協会|NHK]][[NHK紅白歌合戦|紅白歌合戦]]の審査員でもお馴染みであった。保守派の財界人[[稲盛和夫]]の盛和塾(経営者向けの私塾)の会員。
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== 著書 ==
* 『バレリーナの羽ばたき』[[ゆまにて出版]] 1976年
* 『夢みるバレリーナ』[[西川治]]写真 [[サンリオ]] 1978年
* 『バレリーナの情熱』[[大和書房]] 1984年 のち[[角川文庫]]
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*『バレエの世界 踊る・創る・鍛える』清水哲太郎共著 [[講談社]] 1983年
:翻訳
*[[ジョン・パーシヴァル]][[ヌレエフ]] 芸術と半生(付・ヌレエフの手記) バレエ界のスーパースター』[[小倉重夫]]共編 東京音楽社 1981年
 
== 映画出演 ==