「三宅徳三郎」の版間の差分

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三豊中学時代から第四高等学校、九州帝国大学と野球選手で通し、投手や一塁手で活躍、その間柔道、剣道、テニス、乗馬、弓術も行った<ref>『「くすし」四十年の歩み』(1965年) 342頁</ref>。
 
[[1926年]](大正15年)3月、九州帝国大学医学部卒業後、外科医局に4年間在局三宅速教授、赤岩八郎教授の指導を受ける。[[1930年]](昭和5年)5月、[[岩手医科大学|岩手医学専門学校]]教授<ref>[http://surgery-iwate-med.jp/course/ 岩手医科大学医学部 外科学講座の紹介] 2013年7月28日閲覧</ref>ならびに青森県立病院外科部長に就任。[[1931年]](昭和6年)2月、「胃胆嚢吻合と十二指腸胆嚢吻合との比較研究」で学位修得<ref>『「くすし」四十年の歩み』(1965年) 332頁</ref>。
 
[[1935年]](昭和10年)3月、郷里の香川県高松市に三宅病院を開業。[[1944年]](昭和19年)9月、友人に病院を任せて、[[九州歯科大学|福岡県立医学歯学専門学校]]医学部長兼付属病院長に就任<ref>『この一年』(財団法人 三宅医学研究所)(1976年) 著者の略歴</ref>。[[1947年]](昭和22年)高松空襲で焼け出され、同県仲多度郡多度津町に疎開して三宅病院を開業(現 多度津三宅病院)<ref>[http://tadotsumiyake-hp.com/?page_id=20 多度津三宅病院 院長ごあいさつ] 2014年4月6日閲覧</ref>。[[1949年]](昭和24年)10月、高松市にて財団法人医学研究所を設立し附属三宅病院開業<ref>[http://www.miyake.or.jp/index_group.htm#history 財団法人 三宅医学研究所 法人の沿革] 2013年7月28日閲覧</ref>。
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