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|地区名 = 下北沢
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{{Infobox settlement
| name = 北沢
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| population_as_of = [[2017年]](平成29年)[[12月1日]]現在
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}}
'''下北沢'''(しもきたざわ)は、[[東京都]][[世田谷区]]の北東部に位置する地域名。概ね同区北沢の全域と[[代沢]]の一部あたりを含む下北沢村([[東京府]][[荏原郡]])がかつて存在した<ref>世田谷区教育委員会『世田谷の地名』1984年、p.183</ref>。略して'''下北'''(しもきた)とも呼ばれる。
 
町名としての'''北沢'''(きたざわ)は、現行行政地名では北沢一丁目から北沢五丁目。[[郵便番号]]は155-0031<ref name="postal" />。
 
代沢に含まれる部分については、[[代沢]]も参照のこと。
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[[道路]]は、[[茶沢通り]]の他に[[東京都道420号鮫洲大山線]]や[[井の頭通り]]が通るものの、[[自動車]]は元より、休日には[[自転車]]の相互通行もままならない様な幅員2m程度の狭小路地が多く、下北沢駅前の[[商店街]]などではそれら狭小路による安全上の問題が指摘されている。
 
[[河川]]は[[北沢川 (東京都)|北沢川]]が西から東に流れ、さらに北沢川に合流するいくつかの小川・水路等が一部で起伏のある地形を形成し、下北沢駅は「支流」が形成する谷に位置している。下北沢のほとんどが北沢川の流域にたる(参考:東京都都市整備局『[http://wrs.search.yahoo.co.jp/S=1/FOR=sir5yu9V3iijSg8JOzaP3ytuRc1q5W1ZsDooq31Qtlof3hoLtkiSSRICVI0zhD.fUeuQHYLzeVg2XBBHB4ThBl0IBnx7tLji3aMeVmvV9M.LH7F9Y1euY0PesxmksabcGwxa5t3jdyVH3L.IfCaNml9k2XpBXvbbSYb2jISxnRy1W5t8s4jgTRPv6R71ef2RlABDH82XzxjQwh69rHdVd6mg2IwWVEu.K.A8AmtMi3MZ_Tig6JVjJYw-/_ylt=A3xTqWWxFYhUCEsAemeDTwx.;_ylu=X3oDMTEyMWNpcmljBHBvcwMxBHNlYwNzcgRzbGsDdGl0bGUEdnRpZANqcDAwMDg-/SIG=15i0o2bcg/EXP=1418305393/**http%3A//www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/topics/h21/topi035-3.pdf%23search=%27%25E7%259B%25AE%25E9%25BB%2592%25E5%25B7%259D%2B%2B%25E6%25B5%2581%25E5%259F%259F%27 目黒川流域豪雨対策計画]』他)。他に、[[玉川上水]]の水路が笹塚との境界付近を概ね北西から幡ヶ谷方面に向けて通る。ただ、これらの河川等は[[昭和]]時代までにほぼ[[暗渠]]化され、遊歩道の敷地などとなっている。さらにかつては、当地区北部で[[三田用水]]が玉川上水から分水され、大山町、上原との境界に沿って流れていたが、暗渠化の後に廃止されている(参考:旧版地図、他)。玉川上水の水路は現在ほぼ暗渠化され、遊歩道として整備されている。
 
池ノ上駅や東北沢駅は、谷に狭まれた台地状の地形に位置する。なお、この起伏は井の頭線の車窓からもよく見える。
 
メディアで取り上げられ続けている下北沢駅前のイメージが強いが、それ以外の東北沢・池ノ上の両駅前などに近隣商業又は路線[[商業地]]域が形成されているものの、それ以外は概ね住宅地で、中小規模の[[共同住宅]]、木造等の戸建[[住宅]]が多い。京王井の頭線及び小田急線の利用で[[渋谷]]・[[新宿]]へ十数分でアクセスでき、利便性が高い。かつては[[佐藤栄作]]-[[竹下登]]邸(代沢)もあった閑静な住宅地の区域もある。
 
=== 下北沢駅前の商店街 ===
[[ファイル画像:Kitazawa azumadori setagaya 2009.JPG|220px|thumb|right|220px|下北沢あずま通り(下北沢東会)]]
下北沢は、テレビや雑誌などで[[吉祥寺]]、[[三軒茶屋]]、[[自由が丘]]、[[中目黒]]、[[代官山]]などと並んで「若者の街」「ファッションの街」と紹介されることが多い。これに加えて、小劇場やライブハウスも集まっている<ref>[http://www.sankeibiz.jp/business/news/171218/bse1712180500001-n1.htm 【フロントランナー地域金融】昭和信用金庫本店の石橋究一店長代理(1)]SankeiBiz(2017年12月18日)</ref>。新しい店舗の多くは最近のメディアなどで集まる客を相手にする一方で、昔ながらの店舗も残り、新旧が混在している街である。[[国士舘大学]]世田谷・梅ヶ丘キャンパス、[[明治大学]]和泉キャンパス、[[東京大学]][[東京大学駒場地区キャンパス|駒場キャンパス]]などが近いため、学生の訪問も多い。
 
下北沢駅は小高い丘を挟んで位置し、南口は低く、西口周辺は高い位置にあり、狭隘な街路が入り組んでいる。こうした地域特性から、周辺[[住民]]を対象とした雑貨屋・古着屋・生地屋などが古くから存在し、「コットン・タウン」と呼ばれ脚光を浴びた時期もある。いくつかの店舗名にコットンを付けたものがあることで当時の名残りが偲ばれる。
 
また、北口の駅前には「下北沢北口駅前食品市場」という小規模な小売店が集まる一角が2017年9月まであった。1948年頃から駅前に集まった店が、[[トタン]]屋根の下で市場を形成し始めた。最盛期の1970年頃には約70店が営業していた<ref>【東京の記憶】下北沢駅前食品市場/トタン屋根 街の台所/路地に70店 再開発で解体『読売新聞』朝刊2017年12月25日(都民面)</ref><ref>「戦後の[[闇市]]の名残り」と言われることも多かったが、元店主によると、不法行為には手を染めず、戦後の混乱期でも市場内の秩序維持に気を配っていたという。[http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201704/CK2017040902000171.html 「下北沢 さよなら駅前食品市場 発展の歴史語る写真展」『東京新聞』TOKYO WEB(2017年4月9日)]2017年12月27日閲覧</ref>
 
商業地域は、それより前からある小田急線の線路で概ね区分される状態で、複数の商店街組織がある。
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* 下北沢南口ピュアロード新栄商店会
* 代沢通り共栄会
街並みの状態や、下北沢に[[警察署]]がないこと([[交番]]はある)などが、かえって商店街レベルでの防犯への危機感につながってきている面もある。[[パチンコ]]店や北沢八幡宮例大祭での[[露店]]からの暴力団排除、近年では、落書き消去・防止の活動に力を入れている商店街もある。落書き消去は、東京周辺などの他地域の商店街からも注目され、度々報道でも取り上げられている(参考:平成4年警察白書、[[北澤八幡神社]]他<!--報道例追加予定-->)。
 
街並みの状態や、下北沢に[[警察署]]がない事([[交番]]はある)などが、却って商店街レベルでの防犯への危機感につながってきている面もある。[[パチンコ]]店や北沢八幡宮例大祭での[[露店]]からの暴力団排除、近年では、落書き消去・防止の活動に力を入れている商店街もある。落書き消去は、東京周辺などの他地域の商店街からも注目され、度々報道でも取り上げられている(参考:平成4年警察白書、[[北澤八幡神社]]他<!--報道例追加予定-->)。
 
=== 地価 ===
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== 歴史 ==
元々、この地域は東京府(武蔵国)荏原郡下北沢村であり、世田ヶ谷町への合併を経て[[世田谷区]]北沢・[[代沢]]になった。概ね現在の北沢一丁目から五丁目および代沢二・三・五丁目ならびに四丁目の北東部および代田五・六丁目の東側のごく一部が、旧下北沢村に該当する。
 
なお、代沢には、下北沢=旧北沢の一部以外に、代田の飛び地「下代田」等(概ね現:四丁目の一部、一丁目に相当)が編入された(「代沢」の地名はこれらに由来する)。
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元々の中心は現在の代沢三・五丁目付近、北沢八幡宮、[[森巌寺 (世田谷区)|森巖寺]]・[[淡島神社]]分社や代沢小学校のある辺りであり、明治時代の旧版地図5万分1図名:東京西南部[[1912年|明治45年]]縮図には「下北澤本村」の文字が見られる。現在も茶沢通り沿いに商業地域が形成されている。なお、同神社の例大祭は、現在も当地区最大級のイベントである<ref>下北沢南口商店街振興組合[http://www.shimokitazawa.org/matsuri.html]、2014年12月10日閲覧</ref>(村開墾時代についても含めた詳細は、[[代沢]]、[[北澤八幡神社]]を参照)。
 
起伏のある地形からか、「[[山谷]]」のく字がいくつか見られた(参考:旧版地図5万分1図名:東京西南部明治45年縮図)。
 
[[1927年]]の下北沢駅開業後、元々水[[田]]地域であった同駅周辺<ref>旧版地図5万分1図名:東京西南部[[1929年|昭和4年]]鉄補</ref>(物理的中心に近いが)に商業地が形成され、地域の重心が移って行った。他の部分の宅地化は、帝都線(現:井の頭線)開通、池ノ上などの集落の形成を経て、急速に進んでいった。この急速な宅地化に街路など公共スペースの整備が追いつかずに狭小な街路が目立つ街並みとなり、宅地化後は全体的に大きな変化はなく推移してきた。
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== 世帯数と人口 ==
[[2017年]](平成29年)[[12月1日]]現在の世帯数と人口は以下の通りである<ref name="population"></ref>。
{| class="wikitable"
![[丁目]]!![[世帯|世帯数]]!![[人口]]
|-
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== 小・中学校の学区 ==
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる<ref name="school">{{Cite web |url=http://www.city.setagaya.lg.jp/kurashi/107/165/831/d00152278.html |title=通学区域 |publisher=世田谷区 |date=2018-04-01 |accessdate=2018-04-15}}</ref>。
{| class="wikitable"
!丁目!!番地!!小学校!!中学校
|-
||北沢一丁目||全域||rowspan=2|[[世田谷区立池之上小学校]]||rowspan=2|[[世田谷区立富士中学校]]
|-
|rowspan=3|北沢二丁目||5~8番
|-
||22~40番||[[世田谷区立下北沢小学校]]||[[世田谷区立北沢中学校]]
|-
||その他||[[世田谷区立代沢小学校]]||世田谷区立富士中学校
|-
|北沢三丁目||全域||rowspan=3|世田谷区立下北沢小学校||rowspan=3|世田谷区立北沢中学校
163行目:
|北沢四丁目||全域
|-
||北沢五丁目||全域
|}
 
== 一般施設 ==
* スーパーマーケット
** [[フーディアム|ダイエーフーディアム]] [[Recipe SHIMOKITA|下北沢店]](旧[[グルメシティ]] 下北沢店)
** [[ピーコックストア]]下北澤店(旧大丸ピーコック店)
** [[オオゼキ]] 下北沢店
178行目:
** 窓口のある支店
*** [[三井住友銀行]](旧[[住友銀行|住友銀行支店]]/旧[[平和相互銀行|平和相互銀行支店]])
*** [[三菱UFJ銀行]](<span style="color:{{Color|#ff1a00">|</span>}}旧東京三菱支店)
*** [[みずほ銀行]](旧[[富士銀行]]支店)
*** [[横浜銀行]]
*** [[東日本銀行]]
** 出張所(ATMのみ)
*** 三菱UFJ銀行(<span style="color:{{Color|#7d0012">|</span>}}旧UFJ対応)
*** 横浜銀行(小田急線下北沢駅改札内)
*** [[ゆうちょ銀行]]<!-- 郵便局はあるが、下北沢にまつわる名前の支店はない-->
190行目:
 
== 文化施設 ==
[[ファイル画像:Honda theater shimokitazawa 2009.JPG|250px|thumb|right|250px|本多劇場]]
* 劇場
** [[本多劇場グループ]]
232行目:
* [[下北ROOKIES]](2008年)
* [[魔法遣いに大切なこと|魔法遣いに大切なこと 夏のソラ]](2008年7月 - 9月、テレビ朝日系)
 
* [[下北沢ダイハード]](2017年7月 - 、テレビ東京
 
''';マンガ'''
* [[ぼっち・ざ・ろっく!|ぼっち・ざ・ろっく!]]([[まんがタイムきららMAX]] 2018年2月号 - 、芳文社、 著・はまじあき)
 
* [[ぼっち・ざ・ろっく!|ぼっち・ざ・ろっく!]]([[まんがタイムきららMAX]] 2018年2月号 - 、芳文社、 著・はまじあき)
 
;小説
 
* [[刺青殺人事件]](1948年、[[高木彬光]])
 
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東京都と小田急電鉄は、小田急線の[[複々線|複々線化]]及び[[連続立体交差事業]](地下化)事業を進めている。
 
以前から下北沢駅周辺の市街地整備について地元商店街や町内会などの要望もあり、世田谷区も入って検討を重ねてきた。これは元々、日用品を求める地域住民等買物客の回遊性や安全性の向上が目的だった。さらに[[1990年代]]以降、[[阪神・淡路大震災]]等の発生、[[景観]]、治安、[[バリアフリー]]への一層の重視、上記連続立体化などの進展などを背景に、区が[[2006年]]に策定した[[地区計画]]の主な内容は<ref>[http://www.city.setagaya.tokyo.jp/topics/kitazawa/machidukurika/simokitazawa/chikukeikaku/chikukeikaku.html 下北沢駅周辺地区地区計画] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20080928134746/http://www.city.setagaya.tokyo.jp/topics/kitazawa/machidukurika/simokitazawa/chikukeikaku/chikukeikaku.html |date=2008年9月28日 }}</ref>下記の通りである<ref>[http://www.city.setagaya.tokyo.jp/topics/kitazawa/machidukurika/simokitazawa/index.html 下北沢駅周辺地区街づくり] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20101008155848/http://www.city.setagaya.tokyo.jp/topics/kitazawa/machidukurika/simokitazawa/index.html |date=2010年10月8日 }}、[[東京都市計画道路幹線街路補助線街路第54号線]]も参照</ref>。
* 建築物の斜線制限を緩和することと引き替えに壁面線の指定や高さを規制すること、風俗系の用途の制限などを通じた街なみ景観の誘導等
* 建築物の壁面後退等を進め、[[東京都市計画道路幹線街路補助線街路第54号線|補助54号線]]や[[下北沢駅#世田谷区画街路10号線|世田谷区画街路10号線]]の新規整備にも整合させた、防災・防犯性、歩行者回遊性の向上
 
一方、こうした動きに対し、社会学者の[[吉見俊哉]]や音楽家の[[曽我部恵一]]らが反対を表明した。また、世田谷区[[都市計画法|都市計画審議会]]でも学識経験者らの委員から反対意見があった{{要出典|date=2008年9月}}。[[日本建築学会]]は、都や区に見直しを求める要望書<ref>[http://www.aij.or.jp/scripts/request/document/061116-1.pdf 要望書]</ref>を提出した。現在は[[劇団]]、[[ライブハウス]]、[[パブ]]・[[スナックバー (飲食店)|スナック]]を中心に下北沢商業者協議会が組織され、反対運動をしている。なお、この事業は「再開発」と呼ばれる事も多いが、[[都市再開発法]]の市街地再開発事業(一種・二種)は計画されていない(2007年5月現在)。
 
; 地区計画見直しを求める主張
: 一部の地域住民・文化人・来街者やそれを対象にした商店主等が主体<ref>[http://www.city.setagaya.tokyo.jp/topics/kitazawa/machidukurika/simokitazawa/chikukeikaku/chikukeikaku.html 地区計画見直しを求める主張] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20080928134746/http://www.city.setagaya.tokyo.jp/topics/kitazawa/machidukurika/simokitazawa/chikukeikaku/chikukeikaku.html |date=2008年9月28日 }}、[http://www.shimokita-sk.org/ 下北沢商業者協議会]、[http://www.shimokita-action.net "まもれシモキタ!行政訴訟の会"]、[[Save the 下北沢]]等。</ref>。
:* 補助54号線、区画街路10号線が、北側の商業地を背後の住宅地ごと分断し、商店の集客に係る環境を悪化させる。行政は、片側1車線という事を強調するが、逆に言えば、自動車が走行できない歩道や駐車帯が広く、車道以上に分断を押し進める。
:* 上記道路、壁面線の指定、建物高さ規制の緩和は、農村時代の道路網が残る地における独特の「[[文化]]」の破壊をもたらす。
:* 防災に関しては、以下<ref>[http://i-gis.city.setagaya.tokyo.jp/homepage/data/shareimage/kikendo_full.pdf 世田谷区地震防災マップ] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20081113192552/http://i-gis.city.setagaya.tokyo.jp/homepage/data/shareimage/kikendo_full.pdf |date=2008年11月13日 }}</ref>の様に下北沢駅周辺の商店街の危険度は比較的低く(5段階中3程度)、隣接の住宅地の危険度が高く(5段階中4程度)表示されているという矛盾があり、重要性が低い。この問題は、小田急線が地下化した跡地を緑道とする事で十分なものである。
:* 鉄道と路線バス等の連携を理由としたロータリーの設置という地域[[住民]]などからの要望は、終電後の時間帯、文化の観点からも、バス停等は駅から離れた場所に分散させた方がよく、不要である。
:* 幹線道路や駅前ロータリー、連続立体化・複々線化は、高層化等と一体のもので、共に集客環境悪化、文化の破壊を進める。
:** ただし、小田急線の連続立体化・複々線化に関しては、[[梅ヶ丘駅]]周辺の一部地権者が起こした差止訴訟とは違い、見直しを求める側の一部もそれを前提にした街作りの代案を示している<ref>例えば、[https://web.archive.org/web/20130313094914/http://stsk.net/alternative/index.html Save the 下北沢の代替案]は、小田急線の地下化を前提としている</ref>。
 
; 推進する側の主張
: 主に行政・一部の商店街の団体・地域住民やそれを対象にした商店主等。
:* 過密した商店街や幅員が狭い道路は高齢者など周辺住民の買物の支障にもなっている。また、見通しが悪く、非常時には緊急車などの進入や緊急避難の妨げにもなり、周辺住宅地に延焼などの混乱が波及する恐れが強く、防災・防犯上の問題がある<ref>実際に小田急線が地上駅だった時代の南口線路脇にあったマクドナルドで火災が発生し、鎮火に時間がかかっている。</ref>
:* 2つの私鉄の急行停車駅である下北沢駅には、バス・タクシーなどのアクセスを考慮した駅前広場およびアクセス道路(区画街路10号線)が必要である。
:* 商店街に隣接する住宅地の居住環境への悪影響があり、都市計画の面からの対応が必要である。
:* 補助54号線の計画は戦前(消滅した自治体である東京府管轄)からあり<ref>[http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/15_01.html 土木建築工事画報 東京府施行都市計画道路工事(1939年頃の東京都市計画道路図 「東京府施行都市計画道路工事」の項参照)]</ref>、路線計画地に隣接する北沢タウンホールの建設時等にも、計画の存在が考慮されている事実があるなど、地域住民には周知されているはずのものである。
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== 注釈 ==
{{Reflist}}
<references/>
 
== 参考文献 ==