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{{参照方法|date=2011年5月}}
'''永劫回帰'''(えいごうかいき、{{Lang-de|Ewig Wiederkehren}})とは、[[フリードリヒ・ニーチェ]]の思想で、経験が一回限り繰り返されるという世界観ではなく、[[超人]]的な意思によってある瞬間とまったく同じ瞬間を次々に、永劫的に繰り返すことを確立するという思想である。ニーチェは『この人を見よ』で、永劫回帰を「およそ到達しうる最高の肯定の形式」と述べている。
 
永遠回帰(永遠回歸、英語:eternal return、eternal recurrence)または同じ事永遠回帰(Ewige Wiederkunft des Gleichen)は、ニーチェの哲学で見ることができる根本的な思想で「同じものがそのまま永遠に繰り返されるが、生活の実像(實相)である」という思想である。この時、同じものとは力への意志、違いは、循環の遊戯のような実在で繰り返されるその何を意味するものではない。なぜなら、戦争や殺戮のいくつかの瞬間と、この瞬間が返ってきたことにより、実は同じで結論になってしまうからである。したがって、この思想の同じものとは必然的に、最も深淵的にこの瞬間を意味する。同じことを非常に真剣にこの瞬間に直面することには、史上固有の意味がある。この瞬間は、このように非常に貴重で重要であるだろう。つまり、永遠回帰はただ思想に過ぎない。実在の戻ってくるというない。すべての生成(生成)をした円環(円環)の中での繰り返しで見るこの思想は、すべての点がまさに中心(中心點)となるため、現在のこの瞬間が永遠的な意味を持つようになる。ニーチェの永遠と実在の永遠の繰り返しというのではなく、永遠に繰り返したいと心の中の経験である。かくして、現在のすべての瞬間、現実のこの大地(大地)の上の人生そのものがそのまま永遠の価値につながって力強く肯定されていくというものである。つまり、この瞬間につながったすべてのことは、微細粉塵一つ異なり線ならず(生成の無垢)したがってあらゆる苦痛さえもそのまま肯定されるべきものである。同じことが、この瞬間を意味する限り、少しでも変わってはこの瞬間が生じていないので。永遠回帰は「人生の最高の肯定形式」として、同じものとはそれぞれに大変この瞬間を意味し、この肯定形式はすぐに運命子(Amor Fati)となる。つまり、ニーチェの同じものとは規定されていないのだ。ニーチェは、この思想を科学的に証明しようとする試みは、これらの独自の哲学であることを強化しようとする意図で見てい実在では史上自体が自然科学的事実と見ては困難である。
 
== 概要 ==