「タケデンバード」の版間の差分

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ダービーを11着と言う結果に終わったタケデンバードは、[[10月22日]]の条件戦を勝ちオープン馬となった。次の[[カブトヤマ記念]]を2番人気で挑んだものの、[[ハクホオショウ]]に完敗の9着に終わった。次走のクモハタ記念では[[野平祐二]][[騎手]]が鞍上となった。
 
こうして始まったクモハタ記念<ref>この年のみ、中山で無く東京での開催となった。</ref>は、先導役と目された[[トーヨーアサヒ]]の出遅れと言う波乱のスタートとなった。断然の1番人気・ハクホオショウは先行集団の前の定位置に付け、タケデンバードはハクホオショウをマークすべくその外に位置していた。レースが動いたのは、直線に入ってからで、タケデンバードは[[ラファール (競走馬)|ラファール]]と共に抜け出す。ハクホオショウは馬群を抜け出すのに手間取ったものの、直線坂上でタケデンバードを捉えた。タケデンバードは二の足を使い逃げ込みを図るものの、ゴール前でハクホオショウにクビ差交わされたと思われ様にも見えていた。ところが、決勝判定写真の不備<ref>発表時の手違いでは無いか?』とも言われている。</ref>で結果的に誤審となる形で優勝馬とされた。この誤審疑惑は当時は相当な物議を醸し、これ以降は写真判定が義務付けられる事になった([[タケデンバード事件]])<ref name="tensai201908" />。
 
更に、翌[[1973年]]の高松宮杯では、逃げる2番人気の[[ハマノパレード]]<ref>前走の[[宝塚記念]]を優勝し、関西のエースの地位を掴みかけていた。</ref>が直線で落馬転倒し競走中止した。このため、離されていた2番手を走っていた同馬が、何の不利も受けずに1着入線<ref name="tensai201908" />。1番人気の[[ベルワイド]]が3着止まりだった事もあり万馬券決着となった。[[馬主]]、[[調教師]]は共に不在で、鞍上も今回初騎乗の[[蓑田早人]]であった。