「二郎神」の版間の差分

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}}</ref><ref>焦杰「灌口二郎神的演変」四川大学学報(哲学社会科学版)1998年第3期、59-63頁。</ref>。
 
現在では、『西遊記』『封神演義』などにも描かれる楊二郎(楊)とする説が広く知れ渡っている。
 
[[四川省]]の灌口([[都江堰]])に神として祭られているので、'''灌口二郎'''という名が付いたといわれる。[[唐]]の[[玄宗 (唐)|玄宗]]からは'''赤城王'''、[[北宋]]時代の[[真宗 (宋)|真宗]]からは'''清源妙道真君'''の銘を贈られている。また[[元 (王朝)|元朝]]からは'''英烈昭恵霊顕仁佑(祐)王'''、[[清|清朝]]からは'''承続広恵顕英王'''という神号を賜っている。
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=== 封神演義 ===
明代の神怪小説『[[封神演義]]』においては、'''楊'''(ようせん)という名の[[道士]]として登場する。なお、作中での名前は一貫して「楊」であるが、中国では「二郎神楊」とも呼び、二郎真君の姿で描かれる。
 
は玉泉山金霞洞、[[玉鼎真人]]の門下で清源妙道真君の号をもつ(これは趙昱の号と一致する)。七十二変化の術を始めとする様々な術に長け、武器は怪物を追っていて見つけた三尖刀と、隠し持っている哮天犬である。
 
主人公の[[呂尚|姜子牙]]を助けるために下山し、対魔家四将戦で[[周|西岐]]陣営に加わる。
 
とは[[北宋]]の[[徽宗]]の時代に実在した悪名高い[[宦官]]と同姓同名であり、この人物と二郎真君を同一視する作品は『封神演義』が初めてである。何故『封神演義』の作者が二郎真君に悪人の名をつけたのか、明確な理由はわかっていない。『[[醒世恒言]]』には宦官の楊が二郎真君を騙る道士・孫神通の悪事を暴く短編小説が収録されており(『勘皮靴単証二郎神』)、この説話が民間で広まる内に混同されたのではないかという説がある。また[[南宋]]の[[陸游]]による『[[老学庵筆記]]』には、盗人が宦官の楊の自宅に忍び込んだところ、寝台の上には楊ではなく巨大な蛙が寝ていたという話が記載されており、この蝦蟇変化の記録が元になっているとする者もいる。
 
=== 雑劇 ===