「垓下の戦い」の版間の差分

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韓信は自ら先頭に立ち項羽ら楚軍と戦ったが、劣勢になり後方に下がった。しかし、孔藂と陳賀が楚軍を攻撃すると、楚軍は劣勢になり、さらに韓信がこれに乗じて再び楚軍を攻撃すると、楚軍は大敗した。
 
敗れた楚軍は防塁に籠り、漢軍はこれを幾重にも包囲した。夜、項羽は四方の漢の陣から故郷の楚の歌が聞こえてくるのを聞いて、「漢軍は既に楚を占領したのか、外の敵に楚の人間のなんと多いことか」と驚き嘆いた。この故事から、敵や反対する者に囲まれて孤立することを{{読み仮名|'''四面楚歌'''|しめんそか}}と言うようになった<ref>この言葉自体は、寝返った味方を含めた敵軍に囲まれているという複雑な状況に基づいているが、慣用句として用いる場合はそこまでの類似性は求めない。ただ「楚歌」の「楚」は敵国ではなく自国であることは留意が必要である。</ref>
形勢利あらずと悟った項羽は、別れの宴席を設けた。項羽には[[虞美人]]という愛妾がおり、また{{読み仮名|騅|すい}}という愛馬がいた。これらとの別れを惜しみ、項羽は自らの悲憤を詩に読んだ([[垓下の歌]])。
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