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淀川改良に伴い中津川が廃川となったため、1897年(明治30年)大道村ほか13カ村により普通水利組合が設置され、川右岸にんたる大道村大字北大道字三千の地(現 東淀川区南江口3丁目)に樋が設けられ農業用水が取水された。(三千樋)<ref>{{Cite book|title=大阪春秋第19号|date=1979年1月30日|year=1979年|publisher=大阪春秋社}}</ref><ref>{{Cite book|title=淀川かわあるき=Guide Maps of Yodogawa:淀川ガイドマップ|date=2008年3月10日|year=2008年|publisher=読売連合広告社}}</ref>
[[File:Sanzenhiato higashiyodogawa.jpg|thumb|三千樋]]
 
 
1917年(大正6年)9月末から10月にかけての「大正大水害」を受け1918-1932年にかけて背割り堤の築造、宇治川右岸観月橋-三栖に築堤建設と伏見港への三栖閘門の建設された。が1934年9月の[[室戸台風]]・1935年6月と8月の「京都大水害」と立て続けに水害に見舞われ再度の堤防かさ上げが計画され、戦争による中断もあったが1954年(昭和29年)に完工した。