「スティーヴ・クロッパー」の版間の差分

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9歳時に[[テネシー州]][[メンフィス (テネシー州)|メンフィス]]に家族で移住。10歳の時に初めて手にしたギターは義理の兄のギブソンだった。そして14歳で自分のギターを手に入れる。彼に最も影響を与えたのは、[[チェット・アトキンス]]や[[チャック・ベリー]]、[[タル・ファーロウ]]、[[ジミー・リード]]、[[ビリー・バトラー]]などだった。
 
やがて結成したバンド「ロイヤル・スペーズ」は、「[[マーキーズ|ザ・マーキーズ]]」を変え、[[スタックス・レコード|スタックス・レーベル]]の専属バックバンド (となった。1958年頃とされている。当時の[[ソウルミュージック]]のレコーディングでは歌手以外の演奏者は、ほとんどのレコードで同じメンバーが使い回しわれていた) となった。これが1958年頃レーベル専属そうかとされているう役割であった。ザ・マーキーズには[[ドン・ニックス]]、[[ドナルド・ダック・ダン]]、[[ウェイン・ジャクソン]]も加わっていた。このバンドから[[スピンオフ]]したのが[[メンフィス・ホーンズ]]、[[パッカーズ]]、[[ブッカー・T&ザ・MG's]]である。
 
スティーヴ・クロッパーブッカー・T&ザ・MG'sとしての活動を開始したのは1962年からであった。このバンドは1960年代を通してスタックス・レーベルで数多くのレコード制作に関わることになるった。[[オーティス・レディング]]、[[サム&デイヴ]]、[[アルバート・キング]]、[[ジョニー・テイラー]]、[[エディ・フロイド]]、[[ステイプル・シンガーズ]]、[[ウィルソン・ピケット]]などである。この時彼の名声は、もはやアメリカに留まらなかった。[[ビートルズ]]のメンバーである[[ジョン・レノン]]と[[ポール・マッカートニー]]は[[オーティス・レディング]]の作品におけるクロッパーのプレイを高く評価している。ジョンとポールは、メンフィスでクロッパーと共にセッションをしようと試みたが、当時ビートルズのマネージャーだった[[ブライアン・エプスタイン]]によって、(安全上の問題から)この計画は中止となった。1969年にはソロ・アルバム''With a Little Help From My Friends''も発表している。
 
スタックス在籍中のクロッパーに関して、ロブ・ボウマン著「スタックスレコード物語 SOULVILLE U.S.A.」の中でブッカーTジョーンズはこう語っている。