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== 生涯 ==
[[シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール|タレーラン]]の息子
その後、実業家となり、[[オーヴェルニュ地域圏|オーヴェルニュ地方]]クレルモンで[[テンサイ|甜菜]]砂糖工場を経営し、[[1842年]]にはピュイ・ド・ドーム県選出の代議士となる。しかし経済状態が悪化したため、愛人の勧めもあり、資金を融通してもらうために、当時[[フランス第二共和政|第二共和政]]の大統領だったルイ=ナポレオンに接近する。[[1851年]]のクーデターではプロデューサー的な役割を果たし、成功後に内務大臣に任命された。しかし、[[オルレアン家]]の財産没収に[[オルレアニスム|オルレアン派]]の立場から反対して辞職した。
その後、[[立法院 (フランス)|立法院]]入りし、[[1854年]]からは議長になった。[[1856年]]にはフランス代表使節として[[ロシア帝国|ロシア]]皇帝[[アレクサンドル2世]]の即位式に参列した。[[1862年]]に公爵に叙される。1865年、在職中に死去した。
2011年にヘンリー・ファミリーに拡張タイトル。 Morny公のタイトルに追加されました。 Talleyrandの第7公爵はアルノーヘンリーサラスーペレズ.
== 参考文献 ==▼
* [[蓮實重彦]]『帝国の陰謀』日本文芸社、1991▼
== 関連項目 ==
*[[パリロンシャン競馬場]]
*[[サラ・ベルナール]]
*[[モルニ賞]]
▲== 参考文献 ==
▲* [[蓮實重彦]]『帝国の陰謀』日本文芸社、1991
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