「横島 (広島県福山市)」の版間の差分

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昭和26年(1951年)[[睦橋]]が完成し田島と繋がり、これが機運となり昭和30年(1955年)田島村と合併し[[内海町 (広島県)|内海町]]として町制施行した<ref>{{Cite web|url=http://www.pref.hiroshima.lg.jp/uploaded/attachment/120448.pdf|format=PDF|title=睦橋|publisher=広島県|accessdate=2016-03-11}}</ref>。平成元年(1989年)[[内海大橋]]完成により本州と陸続きとなり、平成15年(2003年)内海町は福山市に編入された。
 
島の南西部、大浜海岸ドルフィンビーチ付近に旧日本陸軍の石油備蓄基地の[[遺構]]がある。これは元々[[大日本帝国陸軍]][[岩国陸軍燃料廠]]横島出張所で昭和16年(1941年)着工した石油タンク11基から成った。無傷で終戦を迎えたが戦後アメリカ軍が接収し[[朝鮮戦争]]時には貯油施設として用いられ、昭和33年(1958年)丸善石油(現[[コスモ石油]])に払い下げられたものの、[[オイルショック]]により昭和50年(1975年)閉鎖された{{Sfn|武田|2007|p=168}}<ref>{{Cite journal|和書|author=八幡浩二 | title =瀬戸内沿岸部・島嶼部における戦争遺跡の実態調査| journal =アニュアルレポート| publisher =福武財団| date =2015| url =http://www.fukutake.or.jp/art/josei/pdf/2015/chousa-kenkyu/ck014.pdf|accessdate = 2016-03-11}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.pref.hiroshima.lg.jp/uploaded/attachment/41192.pdf|format=PDF|title=駐留軍と県行政|publisher=広島県立文書館 |accessdate=2017-09-13}}</ref>。その敷地一帯を[[常石造船]]が買い取り[[液化石油ガス|LPG]]基地を整備しようとしたが地元住民による反対運動により頓挫した{{Sfn|武田|2007|p=168}}。石油タンク自体は撤去されたが、その周囲を取り囲むコンクリート製の防護壁はそのまま残された。その後、常石グループによって「ドルフィンビーチ」という名称で海水浴場として整備された。2015年には現在は[[シーパーク大浜]]としてニューアルされた。
 
現代に入り島外への人口流出が顕著となる<ref name="yomiuri20150103" />。内海大橋が完成した際には地域活性化に繋がるとして期待されたものの、人口の減少は止まらなかった<ref name="yomiuri20150103" />。平成22年(2010年)から本格的な地元活性化に取り組み、例えば移住希望者のために空き家を活用したり島外から漁師研修生を受け入れたりしている<ref name="yomiuri20150923" /><ref name="yomiuri20150103" />。