「明治」の版間の差分

内国行政では[[留守政府]]が1872年(明治5年)2月に田畑永代売買解禁、4月に[[庄屋]]、[[名主]]を[[戸長]]と改称、7月に全国一般に[[地券]]発行を行い、帰国した大久保は1873年(明治6年)に[[内務省 (日本)|内務省]]を設置、[[殖産興業]]の育成に力を入れて[[お雇い外国人]]らを用いて[[富岡製糸場]]など多くの[[官営工場]]を設立した。財政面では、[[民部省]]を統合した[[大蔵省]]の大蔵卿・大久保と大蔵大輔・[[井上馨]]が[[改正局]]を設立して、井上直属の部下の[[渋沢栄一]]を[[掛長]]に抜擢し、1871年(明治4年)には各藩の[[藩札]]等を廃止して[[新貨条例]]を制定、貨幣の単位を[[円 (通貨)|円]]・[[銭]]・[[厘]]に統一した。[[1872年]](明治5年)に[[国立銀行条例]]を制定し[[国立銀行 (明治)|国立銀行]]を各地に作らせた。
 
[[蝦夷地]]は[[北海道]]と改められて'''[[開拓使]]'''を置き、[[屯田兵]]などと共に本格的な開拓事業を展開した。通信では江戸時代の[[飛脚]]制度にかわり、まず[[三府]](東京・京都・大阪)で1871年(明治4年)[[郵便]]事業が開始され、[[電信]]も1869年(明治2年)に東京-[[横浜市|横浜]]間で開通した。運輸関連では1872年(明治5年)[[汐留駅 (国鉄)|新橋]]-横浜間で官営の[[鉄道]]が開通した。海運事業は政府の保護の下に[[三菱商会]]を中心に発達した。建築等も[[煉瓦造]]の建物が見られるようになり、家々には[[石油ランプ]]がともされて街灯には[[ガス灯]]が登場、[[馬車]]や[[人力車]]が走るようになった。軍服には[[洋服]]が採用され、政府官吏が順次服装を西洋化していった。また、西洋化する日本市場を狙い[[スタンダードチャータード銀行]]や[[バイエル (企業)|フリードリヒ・バイエル]]、[[オリエンタル・バンク]]など外資の進出が相次いだ。
 
[[司法]]面では[[法治主義]]と[[司法権]]の自立、[[三権分立]]を推進するため、初代[[司法卿]]・[[江藤新平]]がその任に当たったが、留守中の長州藩の首領・[[近衛都督]][[山縣有朋]]が、[[陸軍省]][[御用商人]]・[[山城屋和助]]の公金費消事件に関わったとされる[[山城屋事件]]、[[大蔵大輔]]・[[井上馨]](長州藩士)が職権を濫用して民間人から[[尾去沢銅山]]を巻き上げた事件([[尾去沢鉱山#尾去沢銅山事件|尾去沢銅山事件]])、長州藩出身の[[京都府]]参事・[[槇村正直]]の人民への圧政などを激しく追及、[[裁判所]]設立予算を巡る対立も絡んで3人を一時的に辞職に追い込むなどして[[長州]]閥を一掃したことで江藤は次第に政府内から煙たがられる存在となり、[[留守政府]]の五[[参議]]([[西郷隆盛|西郷]]・[[江藤新平|江藤]]・[[板垣退助|板垣]]・[[後藤象二郎|後藤]]・[[副島種臣|副島]])免職の発端の一つになった。
匿名利用者