「板門店」の版間の差分

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中立国監視委員会について出典を補強
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「板門店(パンムンジョム)」の名は、[[朝鮮戦争休戦協定]]の協議が行われていた[[1951年]]に、[[中華人民共和国|中国]]の代表者が会場を見つけやすくする目的で会場近くの店に設置した看板に由来している<ref>{{Cite web |url=http://www.recordchina.co.jp/b595678-s0-c10.html |title=南北首脳会談もここで!よく耳にする「板門店」とは?名前の由来は中国に関係―中国コラム |work=[[Record China]] |date=2018-04-27|accessdate=2018-05-01}}</ref>。
 
休戦協議が開始された時点で、現在の板門店付近には'''ノル門里'''(ノルムンニ<ref>標準発音に基づく。ハングルを一文字ずつ発音した場合は「ノル・ムン・リ」となる。</ref>、{{Lang-ko|널문리: 널門里}})という名の[[村]]が存在していた。[[韓国の新聞社一覧|韓国の新聞]]によると、ノル門里は「板で出来た門のある村」という意味であり、[[1592年]]の[[文禄の役]]で[[朝鮮国]][[朝鮮の君主一覧|国王]]の[[宣祖]]が[[漢城]]から[[開城]]へ逃げ延びる際、沙川江付近の住民が自宅の門に使っていた木材を用いて宣祖一行が沙川江を渡る為の足場(橋)を造ったという伝聞に由来している<ref>{{Cite web |url=http://newsteacher.chosun.com/site/data/html_dir/2018/05/01/2018050100399.html |title=<뉴스 속의 한국사> 선조 피란 갈 때, 주민들 널빤지문 다리 만들어 도왔대요 |work=[[朝鮮日報]] |date=2018-05-02|accessdate=2019-02-28}}</ref>。
 
文禄の役から凡そ360年後の[[1951年]]、[[朝鮮戦争]]を戦っていた[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・韓国と中国・北朝鮮は[[休戦]]合意を巡る協議を[[7月10日]]から[[開城市]]で行っていた。だが、北朝鮮の支配地域である開城市の中立性維持に疑問が持たれて[[8月23日]]から協議が中断したため、両者は新たな協議の場所として当時の前線の中間地帯に位置していたノル門里へ会談場所を移すことに合意した。当時のノル門里は[[藁葺き]]の家が4-5軒ある小さな住宅街で、村の畑をつぶして新設した会談場所の前に木板で出来た大きな[[門]]と[[垣根]]を有する酒幕(チュマク、{{Lang-ko|[[w:ko:주막]]}}:[[飲み屋]]・[[飲食店]]・[[旅館]]の機能を兼ねた[[朝鮮]]の伝統的な[[店]]<ref>[http://encykorea.aks.ac.kr/Contents/Item/E0053227 주막(酒幕)]([[韓国民族文化大百科事典]]の解説)</ref>)が立地していた<ref name=hankyoreh20180507>{{Cite web |url=http://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/843594.html |title=<유레카> 판문점, 널문리 / 김이택 |work=[[ハンギョレ]] |date=2018-05-07|accessdate=2019-02-28}}</ref><ref name=jinmin>{{Cite web |url=http://people.com.cn/GB/junshi/1078/1984596.html |title=前中国人民志愿军联络员回忆“三八线”风云 |work=[[人民網]] |date=2003-07-25|accessdate=2018-03-07}}</ref>。
 
その為、[[中国人民志願軍]]の関係者は会談場所に目印の看板を設置するに当たり、「'''ノル'''」が[[中国語]]で「'''板'''」を意味すると知って先ず「ノル門」を「板門」と[[漢字]]表記し、会談場所の前に店があることから「店」の字を加えて「'''板門店'''」という名称を生み出した。この名称が他の休戦協議参加国にも伝播したことから、会談場所の名称として「板門店」の漢字表記とそれを[[朝鮮漢字音|朝鮮語読み]]にした「パンムンジョム」が世界的に定着した。ただし、中国の[[ニュースサイト]]によると、中国の関係者は地元の人が言う「neolmuni」を店の名前だと認識していたようである<ref name=hankyoreh20180507 /><ref name=jinmin />。
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===「中立国停戦監視委員会」===
「中立国停戦監視委員会」(NNSC)は、朝鮮戦争において[[中立国|中立]]を宣言した[[スイス]]、[[スウェーデン]]、[[チェコスロバキア]](当時)、[[ポーランド]]の4カ国によって板門店に置かれることとなった。4か国それぞれから将校が派遣され任期は3年間。しかし、チェコスロバキアとポーランドは[[ソビエト連邦]]の影響下で[[ワルシャワ条約機構]]に加盟したので、実際は中立組織は機能していなかった。
 
冷戦終結と共にポーランドと[[チェコ]]([[スロバキア]]と分離)は[[東側諸国|旧東側]](ソ連圏)から離脱し、中立組織が回復するかと思われたが、両国は[[1999年]]に[[西側諸国|旧西側]]の[[北大西洋条約機構]](NATO)に加盟したため、再び有名無実になり、その後チェコとった。北朝鮮はポーランドが脱とチェコの監視員を退去させ1995年にNNSCを認めないことを宣言。現在はスイスとスウェーデンの2が5人ずつを派遣して、韓のみと軍だけでくDMZ外の[[在韓米軍]]や米韓合同[[軍事演習]]を含めて監視活動を行っている<ref name="読売20190820">「朝鮮半島休戦 中立国が監視/前線にスウェーデン軍人」『[[読売新聞]]』朝刊2019年8月20日(国際面)。</ref>
 
委員会は毎週[[火曜日]]、最新情勢について北朝鮮と韓国に送付する報告書を作成している。しかし、北朝鮮は[[1995年]]以降受け取りを拒否しており、北朝鮮側のレターボックスは報告書が溜まった状態になっている。満杯になる都度に中立国停戦監視委員会が回収する<ref name="読売20190820"/>
 
===周辺施設===
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原則として南北両兵士は軍事境界線を越えてはならず、「境界線を越えた者、相手兵士と会話を交わした者は死刑に処せられる」と定められている。
 
2018年の第5回[[南北首脳会談]]において、JSAの非武装化に合意した(本来、区域内での武器所持は違法であるが、有名無実化していた)。地雷除去作業が10月20日までに完了し、南北双方のGP(見張り所)、武器類の撤収作業が行われる。一方で、新たに北側に韓国軍のGPが、南側に北朝鮮軍のGPが新たに設置され、南北双方が35名ずつ非武装の状態で共同警備を行う。非武装化が完了すれば、1976年のポプラ事件以来、完全分離していた南北の共同警備の復活、観光客による区域内の自由往来が可能になる<ref>[http://japanese.yonhapnews.co.kr/northkorea/2018/10/19/0300000000AJP20181019001100882.HTML 板門店・共同警備区域の非武装化へ 地雷撤去ほぼ終了]『[[聯合ニュース]]』2018年10月19日</ref>。2019年現在、非武装化は完了したものの、南北共同警備、自由往来については協議が進展していないため実現していない。
 
=== DMZの韓国軍 ===
DMZの[[臨津江]]周辺は[[2000年]]の韓国[[映画]]『[[JSA (映画)|JSA]]』がヒットした影響で韓国内外から強い関心が寄せられた。DMZの警備は「前進師団」こと陸軍[[第1歩兵師団 (韓国陸軍)|第1歩兵師団]]が担当しているが、この師団は非常に軍紀が厳しく、[[徴兵制度]]で配置される一般兵士達が一番行きたがらない場所でもある。
 
そこから東側の[[漣川郡|漣川]]の方に行くと「かぎ部隊」こと[[第5歩兵師団 (韓国陸軍)|第5歩兵師団]]が存在し、その東側に「白骨部隊」こと[[第3歩兵師団 (韓国陸軍)|第3歩兵師団]]がある。この部隊は朝鮮戦争時、初めて[[平壌]]に[[大韓民国の国旗|韓国旗]]を掲げた部隊として知られる。任地は冬、[[摂氏]]氷点下45度と過酷且つ孤立しており、陸軍へ入隊する若者にとっては一番避けたい、もっとも怖れられる存在として有名な精鋭部隊である。現在韓国軍の「[[国軍の日]]」は10月1日だが、この日の由来は朝鮮戦争時、第3歩兵師団麾下の第23歩兵連隊が初めて[[38度線]]を突破し北進したことを記念するためであり、第3歩兵師団は韓国陸軍でも最も厳しい軍紀とともに多数の功績を持っている。
 
さらに東に進むと「満月部隊」こと第15歩兵師団、「七星部隊」こと[[第7歩兵師団 (韓国陸軍)|第7歩兵師団]]、[[江原道 (南)|江原道]]の[[麟蹄郡|麟蹄]]まで行くと[[第1軍団 (韓国陸軍)|第1軍団]]がある。そして[[日本海]]側に出ると有名な統一展望台の「日出部隊」がある。
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上記のソ連大学生越境事件をはじめとして、板門店では過去数回に渡り北朝鮮や旧東側諸国の国民の韓国側への亡命が行われている。[[1998年]]2月に板門店の警備に当たっていた北朝鮮軍の大尉が韓国側に亡命しており、[[2007年]]9月にも北朝鮮軍の軍人が韓国側に亡命している。
 
[[2017年]]11月13日に、1名の北朝鮮軍兵士が四輪駆動の小型軍用車両で共同警備区域(JSA)に入り込み、軍事境界線を越えて韓国側に亡命しようとしたが、排水口に嵌り脱輪し、その後に車両を捨て軍事境界線を越えて逃げ込み亡命したが、その際に警備にあっていた北朝鮮軍兵士から銃撃を受けて負傷。銃弾の一部が韓国側に到達した。<ref>{{Cite news|title=世界と日本 大図解シリーズ No.1355 対立と和解の場 板門店|newspaper=『[[東京新聞]]』|date=2018-5-27|publication-date=}}</ref>北朝鮮軍兵士は板門店の軍事境界線から南側に約50mの地点で倒れこんでいるのを韓国側に発見された。その後、韓国軍の兵士が救助に当たり、国連軍のヘリコプターで大韓民国の病院に搬送され、一命を取り留めている。これを受け北朝鮮は、当時警備に当たっていた北朝鮮軍の兵士達を責任者も含めて交代させ、北朝鮮側の非武装地帯と共同警備区域の間に掛かる「72時間橋」を閉鎖して、鍵が掛かる門の設置をするとともに、数人の北朝鮮要員が深さ1m以上の溝を軍事境界線の北朝鮮側に掘った。逃走を防ぐ対策のためだと思われている<ref>[https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171125-00000046-asahi-int 北朝鮮、板門店に1メートル以上の溝を掘る 逃走防止か] Yahoo!ニュース</ref>。
 
== 見学訪問 ==
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行程は半日程度のものが中心で、[[国際連合]]の[[公用語]]である[[英語]]が出来る[[添乗員]]が同行するツアーのほか、[[日本人]]向けの[[日本語]]が出来る添乗員が同行するツアーが用意されている。さらに、DMZ周辺に掘られた、北側からの南方進入用[[トンネル]]や[[都羅山駅]]などの見学と組み合わせた、1日通しの日帰りツアーもある。いずれも、上記の[[旅行代理店]]への事前予約が必要である。
 
南側からの訪問は「国連軍の招待客」という名目<ref name="Katoh" />のため「[[国籍]]確認」が行われ、国連軍より参加不可国に指定されている、朝鮮民主主義人民共和国、[[アフガニスタン]]、[[パキスタン]]、[[イラン]]、[[イラク]]、[[キューバ]]、[[リビア]]、[[スーダン]]、[[シリア]]国籍保持者は見学不可である。朝鮮戦争時に北朝鮮側について、国連軍と対峙していた[[中華人民共和国]]、[[ソビエト連邦]]の[[継承国]]である[[ロシア]]、[[ベトナム]]、[[マレーシア]]、[[インドネシア]]、[[シンガポール]]、[[インド]]、[[オマーン]]、[[サウジアラビア]]、[[ウクライナ]]、[[エジプト]]、[[ソマリア]]、[[中華民国]]([[台湾]])などの参加制限国および国連非加盟国の国籍者は、1週間の事前審査承認の上参加可否が判断される。
 
韓国人(在外韓国人を除く)の場合、[[国家情報院]]への申請、承認が必要である。申請は[[住所]]地の[[警察署長]]による「身元保証」などが必要。団体見学が原則で、多くは[[共同警備区域]]に勤務する親族訪問、[[市民団体]]による訪問団で、外国人のように簡単に見学することは不可能で、いずれも見学までに数ヶ月を要する。[[在日韓国・朝鮮人|在日韓国人]]の場合、韓国[[大使館]]発行の「在外国民登記簿謄本」を持参すれば、上記外国人向けツアーへの参加が可能である。参加国籍に問わず職業や性別による見学制限はないが、9歳以下の[[小学生]]及び同等の課程にある児童、乳幼児はツアー参加自体ができない。
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撮影は共同警備区域内のみならず、南側が自主的に設けた「[[民間人出入統制区域]]」内([[臨津江]]に架かる「[[統一大橋]]」の検問所以降)を移動中の[[バス (交通機関)|バス]]内も撮影不可である。国連軍が管理する「キャンプ・ボニファス」内の見学者向けにブリーフィングを行う建物などの一部施設周辺や、軍事停戦委員会本会議場内での国連軍兵士との記念写真の撮影は可能である(運が悪いと軍事停戦委員会本会議場内に北側の観光客がいて入れないこともある)。100[[ミリメートル]]以上の[[望遠レンズ]]は持ち込み不可である。
 
[[軍服]]、軍服に似た服、作業服、Tシャツ、破れた[[ジーンズ]]、ショートパンツ、その他の露出度の高い服装は禁止されている。
 
以前は、「北側がアメリカの[[象徴]]であると考えているとするジーンズ姿の[[観光|観光客]]を、『韓国はアメリカの手先』と宣伝([[プロパガンダ]])に利用する恐れがあるため」[[ジーンズ]]は完全に禁止だったが、現在では破いて穴をあけたものや色のあせたものなどを除き基本的に許容されている。
 
ツアーの終盤に立ち寄る「キャンプ・ボニファス」内の「自由の村」住人が経営する[[土産物]]店において、記念品や土産物の購入が可能となっている。[[タバコ]]や[[酒]]類が免税で販売されている。軍地基地内にあるPX売店では、通常、[[付加価値税]]([[消費税]])や[[酒税]]などが免税となっている。[[クレジットカード]]の利用はできないが、土産物店脇に韓国の[[銀行]]の[[現金自動預け払い機|ATM]]がある。
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板門店訪問に際して服装の制限はないが、同国の一般的なマナーとして、透ける服や下着が露出する服装、ミニスカートや「USA」と書かれた服、政治的メッセージが書かれた服、さらに軍服を模した服装などは好まれない、もしくは問題視される。北側の体制や指導者の批判は板門店に限らず北側のどこでも厳禁である。ツアー参加者は、現地の将校から「統一」と書かれたバッジがもらえることがあるという<ref name="Katoh" />。
 
韓国に隣接しているため、観光客の持ち込んだ携帯電話が、韓国の通信会社の電波を捉えることがあるが、(軍事関連施設でもある事から)通信は厳禁である<ref>[https://mainichi.jp/articles/20171127/mog/00m/030/013000c 迫る緊迫感、通信の自由なく 北朝鮮の見学ツアーに参加]『[[毎日新聞]]』2017年11月27日</ref>。
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File:KAESONG CITY JOINT SECURITY AREA DMZ DPRK NORTH KOREA OCT 2012 (8648601380).jpg|区域入口