「カライ派」の版間の差分

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[[ファイル:Bet keneset matsliah.jpg|250px|サムネイル|カライ派の祭壇]]
'''カライ派'''('''Karaite Judaism''', Karaism, '''{{Lang|he|&#1511;&#1456;&#1512;&#1464;&#1488;&#1460;&#1497;&#1501;}}''' ([[現代ヘブライ語]] '''Q&#601;ra&#702;im'''; [[ティベリア・ヘブライ語]] '''Q&#601;r&#257;&#702;îm''')は、[[ラビモーセ五書]]的ユダヤ教のみ避け権威と認める[[ユダヤ教]]の一派<ref name="shimada56">[[ミクラー#嶋田 2015|嶋田 2015]](聖書)を受け入れ、, p. 56.</ref>。口伝律法である[[ミシュナタルム]]も権威として認める[[ラビ]]・ユダヤ教とは異なり、タルムード]]を受け入れの権威は一切認めない<ref name="shimada56-57">[[#嶋田 2015|嶋田 2015]], pp. 56–57.</ref>
/qr'/は[[読む]]という意味で、ミクラーなどの語根でもある。また一方、[[ラビ・ユダヤ教]]よりも聖書解釈は深いところもある。
 
/qr'/は[[読む]]という意味で、ミクラーなどの語根でもある。また一方、[[ビ・ユダヤ教]]よりも聖書イとは「文字を読む者」「文字の解釈は深いところもに精通する者」を意味するアラム語である<ref name="shimada56" />
[[8世紀]]、[[バビロニア]]のラビ・[[アナン・ベン・ダヴィド]] [[:en:Anan ben David|Anan ben David]] を創始者とする。
 
[[8世紀]]半ばの[[バビロニア]]のラビ、[[アナン・ベン・ダヴィド]]を創始者とする。同氏やその子孫を独自の指導者と仰ぐようになった一派は当初'''アナン派'''と呼ばれていたが、9世紀以降はカライ派と呼ばれるようになった<ref name="shimada57">[[#嶋田 2015|嶋田 2015]], p. 57.</ref>。
 
ミシュナーなどを認めないことは、古代の[[サドカイ派]]に通じるところがあり、実際にその起源はサドカイ派に求められるとされる。また[[イスラム教]]の[[ムゥタズィラ学派|ムゥタズィラ派]]からの影響も伺われ、カライ派が確立したこの哲学は後に[[サアディア・ベン・ヨセフ|サアディア・ガオン]]へ通じ、ラビ・ユダヤ教にも普及した。皮肉にもこうして生まれた近似はカライ派との対立を深めた。サアディアはこうしてカライ派の影響を受けて改革されたラビ・ユダヤ教の論理で、カライ派への攻撃を行うことになった。
 
== シャ(安息日) ==
聖書の厳密な解釈と実行が殊に現れるのは[[安息日|シャト]]での過ごし方にあり、家からの外出をしないばかりか[[火]]を焚く行為も行わない。
 
== 今日のカライ派 ==
''[[カライ派ユダヤ人の一覧]]{{see also|[[:en:List of Karaite Jews|List of Karaite Jews]]''}}
 
[[イスラエル]]、[[カイロ]]、[[イスタンブール]]、[[クリミア]]、[[ポーランド]]、[[リトアニア]]にコミュニティーが残っている<ref>{{Efn|クリミアに1200人、リトアニアの[[トラカイ]]などに300人、ポーランドの[[ワルシャワ]]に200人『テュルクを知るための61章』(2016年刊)p55<ref>[[#小松編著 2016|小松編著 2016]], p. 55.</ref>。}}
イスラエル、カイロ、イスタンブールはユダヤ人社会と密接なつながりを持っている。
 
リトアニアの[[トラカイ]]には、カライ派ユダヤ教徒を扱った[[博物館]]や、カライ派料理の[[レストラン]]がある。また、この町ではカライ派ユダヤ教徒の祭典も催される。{{要出典範囲|date=2019年8月|トラカイ市の新しい紋章は、カライ派ユダヤ教徒を象徴しているという説もある}}
 
== カライ派文書 ==
特に「黄金時代」に[[ミクラー]]註解書、様々な論議などの膨大な文献が生み出された。これらの文書は、カライ派以外の新しくまた不備な点のない[[ミシュナー]]と[[タルムード]]を護る動き― サアディア・ガオンとサアディアのカライ派への批判論的文書がその頂点に達した ― を誘発した。
 
これらの文書は、カライ派以外の新しくまた不備な点のない[[ミシュナー]]と[[タルムード]]を護る動き― サアディア・ガオンとサアディアのカライ派への批判論的文書がその頂点に達した ― を誘発した。
== 脚注 ==
{{Reflist脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
 
== 参考文献 ==
* {{Cite book |和書 |author=小松久男編著 |authorlink=小松久男 |series=エリア・スタディーズ148 |year=2016 |title=テュルクを知るための61章 |publisher=[[明石書店]] |isbn=978-4-7503-4396-9 |ref=小松編著 2016 }}
* {{Cite book |和書 |author=嶋田英晴 |authorlink=嶋田英晴 |year=2015 |title=ユダヤ教徒に見る生き残り戦略 |publisher=[[晃洋書房]] |page= |id= |isbn=978-4-7710-2652-0 |ref=嶋田 2015 }}
 
== 文献案内 ==
* ''Karaite Anthology'' (Leon Nemoy) ISBN 0300039298
* ''Karaite Jews of Egypt'' (Mourad el-Kodsi) (1987)
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* ''The Dead Sea Scrolls in the Historiography and Self-Image of Contemporary Karaites'' (Daniel J. Lasker) Dead Sea Discoveries, Nov 2002, Vol. 9 Issue 3, p281, 14p-294; DOI: 10.1163/156851702320917832; (AN 8688101)
* ''Karaites of Christendom--Karaites of Islam'' (W.M. Brinner) from "The Islamic World: Essays in Honor of Bernard Lewis" Princeton University Press 1989
* 『テュルクを知るための61章』小松久男 編著、明石書店、2016年刊( http://www.akashi.co.jp/book/b244171.html )
 
== 関連項目 ==