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[[ファイル:Bet keneset matsliah.jpg|250px|サムネイル|カライ派の祭壇]]
'''カライ派'''('''Karaite Judaism''', Karaism, '''{{Lang|he|קְרָאִים}}'''
/qr'/は[[読む]]という意味で、ミクラーなどの語根でもある。また一方、[[ラビ・ユダヤ教]]よりも聖書解釈は深いところもある。▼
▲/qr'/は[[読む]]という意味で、ミクラーなどの語根でもある。
[[8世紀]]半ばの[[バビロニア]]のラビ、[[アナン・ベン・ダヴィド]]を創始者とする。同氏やその子孫を独自の指導者と仰ぐようになった一派は当初'''アナン派'''と呼ばれていたが、9世紀以降はカライ派と呼ばれるようになった<ref name="shimada57">[[#嶋田 2015|嶋田 2015]], p. 57.</ref>。
ミシュナーなどを認めないことは、古代の[[サドカイ派]]に通じるところがあり、実際にその起源はサドカイ派に求められるとされる。また[[イスラム教]]の[[ムゥタズィラ学派|ムゥタズィラ派]]からの影響も伺われ、カライ派が確立したこの哲学は後に[[サアディア・ベン・ヨセフ|サアディア・ガオン]]へ通じ、ラビ・ユダヤ教にも普及した。皮肉にもこうして生まれた近似はカライ派との対立を深めた。サアディアはこうしてカライ派の影響を受けて改革されたラビ・ユダヤ教の論理で、カライ派への攻撃を行うことになった。
== シャ
聖書の厳密な解釈と実行が殊に現れるのは[[安息日|シャ
== 今日のカライ派 ==
[[イスラエル]]、[[カイロ]]、[[イスタンブール]]、[[クリミア]]、[[ポーランド]]、[[リトアニア]]にコミュニティーが残っている
リトアニアの[[トラカイ]]には、カライ派ユダヤ教徒を扱った[[博物館]]や、カライ派料理の[[レストラン]]がある。また、この町ではカライ派ユダヤ教徒の祭典も催される。{{要出典範囲|date=2019年8月|トラカイ市の新しい紋章は、カライ派ユダヤ教徒を象徴しているという説もある}}。
== カライ派文書 ==
特に「黄金時代」に[[ミクラー]]註解書、様々な論議などの膨大な文献が生み出された。これらの文書は、カライ派以外の新しくまた不備な点のない[[ミシュナー]]と[[タルムード]]を護る動き― サアディア・ガオンとサアディアのカライ派への批判論的文書がその頂点に達した ― を誘発した。
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book |和書 |author=小松久男編著 |authorlink=小松久男 |series=エリア・スタディーズ148 |year=2016 |title=テュルクを知るための61章 |publisher=[[明石書店]] |isbn=978-4-7503-4396-9 |ref=小松編著 2016 }}
* {{Cite book |和書 |author=嶋田英晴 |authorlink=嶋田英晴 |year=2015 |title=ユダヤ教徒に見る生き残り戦略 |publisher=[[晃洋書房]] |page= |id= |isbn=978-4-7710-2652-0 |ref=嶋田 2015 }}
== 文献案内 ==
* ''Karaite Anthology'' (Leon Nemoy) ISBN 0300039298
* ''Karaite Jews of Egypt'' (Mourad el-Kodsi) (1987)
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* ''The Dead Sea Scrolls in the Historiography and Self-Image of Contemporary Karaites'' (Daniel J. Lasker) Dead Sea Discoveries, Nov 2002, Vol. 9 Issue 3, p281, 14p-294; DOI: 10.1163/156851702320917832; (AN 8688101)
* ''Karaites of Christendom--Karaites of Islam'' (W.M. Brinner) from "The Islamic World: Essays in Honor of Bernard Lewis" Princeton University Press 1989
== 関連項目 ==
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