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Popopornoo (会話 | 投稿記録) →産業競争力の低下と新自由主義の盛衰とケインジアンへの回帰: 国際的な観点からの修正 タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
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==== 産業競争力の低下と新自由主義の盛衰とケインジアンへの回帰 ====
[[日本人]]は伝統的に、他者とのすり合わせと、細部に渡る作り込みが得意であるとされる<ref>{{Cite web|url=https://www.chusho.meti.go.jp/koukai/shingikai/kihonmondai/2015/download/151126kihonmondai5.pdf|title=日本製造業の強み:「すり合わせ」と「つくり込み」|accessdate=2019年8月12日|publisher=中小企業庁}}</ref>。この特長を活かし、産業トレンドの変化が緩やかだった1990年代までは工業製品の品質で世界でも抜きん出た存在感を示していたが、ガラパゴス的性格が強く、より安価で必要十分な性能を持つ海外製品の登場で次第に見向きされなくなって行った。20世紀末の[[情報革命|IT革命]]で[[情報技術|IT]]を基軸として産業トレンドに急速な変化が起きるようになると、日本はすり合わせと作り込みが重荷となって産業トレンドの変化に追従できなくなり、海外に遅れを取るようになった。ITでは[[PC-98]]や[[フィーチャー・フォン|ガラケー]]のような日本独自規格の製品を作り続け、IT企業としてはカスタムメイドのシステムを製造する[[システムインテグレーター]]が隆盛したものの、世界標準の確立が重要なITでは見当違いな努力となった。その間にも海外のITプラットフォームが世界に浸透し、[[デファクトスタンダード]]になった事で、日本は[[情報技術|IT]]における世界的影響力を失った。この事は、[[1995年]]にアメリカ発のパケット交換ネットワークである[[インターネット]]が日本国内で流行語大賞を取ってブームになり、回線交換の延長上で[[日本電信電話|NTT]]が開発した[[Asynchronous Transfer Mode|ATM(Asynchronous Transfer Mode)]]が殆ど普及しなかった事で決定的となった。20世紀の日本の大黒柱であった[[電機メーカー]]各社も21世紀に入ると世界標準からの乖離が激しくなって業績不振に陥り、その中の数社は倒産寸前の状況にまで追い込まれた。アメリカの[[金融機関|金融業界]]における成功を受けて、[[1990年代]]からは日本でも、ネオリベラリズムとしての[[新自由主義]]が台頭した。[[2001年]]の[[小泉内閣]]では[[小さな政府]]を志向した[[聖域なき構造改革]]が進められ、[[2004年]]の[[イラク日本人人質事件]]では、人質が日本政府の勧告を無視したことに対して、内閣総理大臣を筆頭に政府関係者らが自己責任論を主張した。
==== ネオ・ジャポニスム ====
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