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以後もハーディングやクーリッジ、フーバー等の歴代大統領に対し、特別顧問という特権的な肩書きでアメリカの重要政策に関わり続ける事でアメリカの執政に必要なあらゆる政治的ノウハウを学ぶと同時に、重要な政治部門の実力者と個人的なパイプを強化し、実質的に大統領以上の政治的影響力を行使できる立場に立った。
 
その結果としてルーズベルト政権が成立した1930年代には、強大化した政治的な影響力を利用し、公的にも金融界の大物から長老政治家というスーパーエリートへ転身を遂げることに成功。[[フランクリン・ルーズヴェルト]][[大統領上級顧問 (ホワイトハウス)|大統領の顧問]]として大いに専権を振るった。
 
[[ハリー・トルーマン]]政権でもその影響力は低下することなく[[国際連合|国連]]原子力委員会の米国代表に選ばれ、[[バルーク案]]によりアメリカの[[核兵器|核]]独占による世界平和を唱えた。[[冷戦]]という言葉を初めて用いた一人であり<ref>Gaddis 2005 , p.54</ref>、それが戦後の世界情勢を意味する言葉として認められた事実は、彼の特権的な地位を証明している。