「キング・オブ・キングス (1961年の映画)」の版間の差分

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Iiogawa (会話 | 投稿記録)
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題名もファロウの時は『人の子』、レイと契約するときは『剣と十字架』であった。これをヨーダンが『キング・オブ・キングス』とする事を提案した。当然デミル側から許諾を受けると言う動きもあって、配給の10パーセントを提示する案もあったが、試しに[[アメリカ映画協会 (業界団体)|アメリカ映画協会]]にタイトルを登録してみると、デミル側は未登録であった為、ブロンストン側は印紙代6セントでこの題名を手に入れたという。
 
== あらすじ ==
紀元前63年、ローマ帝国グナエウス・ポンペイウスは、フェニキア及びシリアの主要な都市を征服した後、ユダヤへと進軍、エルサレム神殿をも侵略。以降、長きにわたり、ユダヤを統治し続けた。
 
数十年の時が流れて、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録であった。ガリラヤの町ナザレに暮らしていた大工ヨセフと、身重だったマリアも、ユダヤのベツレヘムに戻っていった。ベツレヘムの町は、住民登録のため、人であふれていった。宿の主人:「泊めてやる部屋はどこにもない」。ヨセフ:「今にも生まれそうなんだ」。宿の主人:「じゃ~、馬小屋なら」。こうして、幼子は生まれた。星に導かれ、東の方から、三人の賢者がやって来た。黄金を携えたメルキオール 、乳香を携えたバルタザール 、没薬を携えたカスパールである。三人は、マリアと幼子の前にひれ伏し、携え物をおいて誕生を祝った。
 
その後、ヨセフは、夢の中で、「マリアと幼子と共に、エジプトへ逃れよ」との啓示を受けたので、エジプトへ逃れ、ナザレに戻った。幼子は、イエスと名付けられた。
 
一方、当時のユダヤは、ローマの支配下で、ヘロデ大王が統治していた。ヘロデは、救世主出現の伝説を信じ、恐れて、ベツレヘム新生児虐殺の命令を出した。多くの幼子の血が流されたが、ヘロデ自身も、息子ヘロデ・アンティパスに玉座から蹴落とされて急死した。
 
時は流れて、ユダヤ総督に、ポンティウス・ピラトゥスが任命された。また、時を同じくして、ユダヤをローマから守らんとするバラバの軍団が台頭してきた。
 
「悔い改めよ」と荒野(あらの)にて説いて廻る者がいた。バプテスマのヨハネである。 青年期を迎えたイエスも、ヨハネから、バプテスマ(洗礼)をうけた後、山に登って行った。
 
疲労感と空腹感の中で、サタンの誘惑の声がした。「足元の石ころを、パンに変えてみよ」。答えて、「人はパンのみにて生きるにあらず。神の口からでる言葉にて生きるものなり」。サタンは、この世のあらゆる栄耀栄華をみせて、「私に膝まづけば、これらのものをすべて与えよう」。イエス答えて、「主なる神を拝し、神のみに仕えよとある」。三度(みたび)サタンは言う、「この崖から飛び降りてみよ。天使が助けてくれるだろう」。答えて、「サタンよ、退け。主なる神を試みることなかれ」。サタンは、二度とイエスの前に現れなかった。
 
バプテスマのヨハネは、ヘロデ・アンティパスの妻ヘロデヤを強くののしったため、捕らえられ、牢獄につながれた。ヘロデヤには、サロメという娘がいた。七色のベールをまといしサロメの踊りに、ヘロデ・アンティパスも目を細めていた。ヘロデヤが、娘サロメを使い、ヘロデ・アンティパスに所望したものは、「銀の燭台(お盆)にのせた、ヨハネの生首」だった。
 
イエスには、ガリラヤへ向かいながらも、次々と弟子が加わった。 ヨハネ、 アンデレ、 漁師のシモン(後の、ペトロ)、 ゼベダイの子ヤコブ、 フィリポ 、 バルトロマイ、 マタイ、 トマス、 アルファイの子ヤコブ、 タダイ、 ヤコブの子ユダ、 熱心党のシモン、 イスカリオテのユダ、 そして、姦淫の罪で石打の刑にされるところを、救われた、 マグダラのマリア。
 
イエスは、ガリラヤ湖の西にある小高い丘で、約5000人程の人々に、 愛と平和を説いた。 ポンティウス・ピラトゥスの妻クラウディアや バラバも、イエスの話を聞こうと来ていた。 世にいう、 山上の垂訓である。
 
イエスは、行く先々で、様々な奇跡をおこなった。ローマ軍:政務官ルキウスの報告によれば、蹇(あしなえ)が自分の足で歩き始めたとか、盲(めしい)の目が見えるようになったとか、「良くなりたいのか」とお尋ねになると、腰痛の人はたちまちに回復したとか、死人をよみがえらせたとか、水の上を歩いたとか、はたまた、甕(かめ)の水をブドウ酒に変えたとか。聞いていたポンティウス・ピラトゥスも、「からかうのか」と怒り出すありさまだった。
 
イエスの話を聞いて、バラバは失望し、自ら、ローマ軍のエルサレム本拠アントニア要塞を突撃しようと武器を用意するのだった。
 
(ここで休憩がはいる)
 
イエスが、エルサレムへやって来た。小さなロバの背に振られて。皆其々に、シュロの葉を通る道に敷き詰めて、出迎えた。
 
バラバも、エルサレム攻撃を開始したが、出迎えたのは、ローマ兵だった。あえなく、捕縛。
 
最後の晩餐の時、「ここに、裏切り者がひとりいる。汝が為すべき事をせよ。」そして、「パンを取りて、これはわが肉。ブドウ酒の盃を取って、これはわが血。」と言い、別れの食事を共にした。
 
イスカリオテのユダは、カイアファのもとへいき、銀貨30枚で、イエスをうった。夜の闇の中では、分かり辛いと思ったのか、「私が最初に口づけをする人が、その人だ」と。
 
その頃、イエスは、弟子たちと共に、ゲッセマネにいた。一人になって、祈っていた。神でありながら、人間として、苦しみや恐ろしさを、その身に受けていた。イスカリオテのユダとローマ兵がやってきて、イエスをとらえようとしたが、弟子の一人が剣で応戦。イエスは、これをたしなめて、無抵抗のまま捕縛された。一度は、ピラトゥスの裁判となったが、裁ききれずに、ヘロデの元へ送られた。ヘロデもまた、裁ききれずに、ピラトゥスの元へ戻してきた。当時のエルサレムでは、年に一度、罪人を1人処刑する代わりに、別の罪人を1人、釈放するという、恩赦の制度があった。イエスとバラバ、どちらを釈放するかということになった。 民衆は、バラバの釈放を望んだ。バラバの手下どもが、民衆の中にもぐりこんでいた。
 
長く続くゴルゴダの丘への道。十字架をかついで、登っていった。疲れが限界に来たのか、途中からは、キレネのシモンが十字架を担ぐことになった。イエスと共に十字架刑になった二人の罪人がいた。一人は、ゲスタス。イエスに悪態をついた。もう一人は、デュスマス。彼は、ゲスタスをたしなめた。答えて、「きみは今日、私と共に天国にいるだろう」と。頭にはイバラの冠、背中にムチ打たれた跡。何の抵抗もせず、悲鳴も上げることなく、相手を罵ることもなく、ただされるがまま。「父よ、彼らを許したまえ」。昼間だというに辺りは急に暗くなり、雷鳴がとどろき、突風が舞い上がった。命が消えたのだ。「誠に神の子だった」と、ルキウスはつぶやいた。
 
亡骸(なきがら)は、アリマタヤのヨセフが引き取り、墓地へおさめた。三日目の朝、墓の前で寝ていたマグダラのマリアが目を覚ますと、墓の入り口は開いており、イエスの遺体は消えていた。マリアは、昇天するイエスを目撃した。予言が成就したのだ。そして、ガリラヤの地で、よみがえったイエスと再会するのだった。
「私は世の終わりまで、いつもあなた方と共にいます。」
 
== キャスト ==