「秋桜 (山口百恵の曲)」の版間の差分

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{{出典の明記|section=2|date=2015年1月}}
* 1977年当時、山口百恵は[[阿木燿子]]・[[宇崎竜童]]によるいわゆるツッパリ路線の楽曲で売り出していたため、本作をリリースした際には山口に対し「なぜさだの曲を歌うのか」という疑問の声が多かった。また、さだファンからも「なぜ山口の歌を作るのか」という反響もあったという。さだは、山口には日本的な女性らしい面があるのではないかと考え、あえてそれまでのイメージを一変させるような曲作りを行ったという。
* 提供曲のレコーディングには立ち会うことを常としているが、本作のレコーディングの際にはさだはスタジオに立ち会なかった。さだが電話で「(結婚をテーマにした作品であるため)まだピンと来ないでしょう?」と尋ねたが、そのとき当時18歳だった山口は「はい」と正直に答えている。しかしその後、結婚を期に引退するラスト・コンサートの日([[1980年]][[10月5日]])に「この歌の意味がようやく分かりました」というメッセージをさだに送っている<ref>さだのデビュー20周年ライヴ・アルバム『[[のちのおもひに]]』第4夜収録の「トーク2」</ref>。
* さだは、山口百恵側からの制作依頼を受けてから督促が来るまで2年間、依頼の事実を忘れていたと言い、その後半年かけて完成したと語っている。
* 作品は山口の[[ファルセット]]を発揮するために高音域を選んだ曲作りがなされている<ref>山口盤は[[ヘ短調]]で歌われているが、さだのセルフ・カヴァーでは[[完全四度]]下の[[ハ短調]]で歌われている。</ref>。ただし、歌番組での山口はオリジナル・キーの[[ヘ短調]]よりも[[長二度]]落とし、[[変ホ短調]]で歌唱することが多かっしていた。
* 本作は元は「小春日和」というタイトルだったが、曲を聴いたプロデューサー(CBSソニーの[[酒井政利]])の提案で「秋桜」に変更となった。当初、さだはタイトルの「秋桜」を、「コスモス」と読ませるつもりはなく、本来の和名である「あきざくら」とするつもりであった(さだは後に短編小説集『[[解夏]]』中に「秋桜(あきざくら)」という作品を出す)。本作のヒットにより「[[コスモス]]」というそれまでになかった読み方が広まるようになった<ref>[[笹原宏之]]編『当て字・当て読み漢字表現辞典』[[2010年]]、[[三省堂]]、274頁、ISBN 978-4-385-13720-9</ref>。
* 嫁ぐ娘が母を想う楽曲であり、後に同じシチュエーションを母親の視点から歌った作品「秋の虹」(『[[家族の肖像 (さだまさしのアルバム)|家族の肖像]]』に収録)が制作されている。