「ヴィルヘルム・フィーエトル」の版間の差分

→‎生涯: この点はHowatt (1982, 1984) が明確に否定してます
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フィーエトルは[[プロテスタント]]の[[牧師]]の子として[[ナッサウ (ドイツ)|ナッサウ]]に生まれ、はじめは[[神学]]を学んだ。1872年から翌年にかけて[[イギリス]]で短期間[[ドイツ語]]を教えたあと、1874年に[[フィリップ大学マールブルク|マールブルク大学]]に入学して[[英語]]を学んだ。1876年から[[デュッセルドルフ]]で英語と[[フランス語]]を教えつつ、言語教育に関する論文を書いた。当時の言語教育は古典文学の読解や、例文の翻訳による方法([[:de:Grammatik-Übersetzungsmethode]])が主だったが、フィーエトルは文字ではなく口による話し言葉の教育の重要性を訴えた。
 
1882年に「Quousque Tandem」<ref>[[マルクス・トゥッリウス・キケロ|キケロー]]による[[カティリナ弾劾演説]]の最初の言葉より。</ref>の偽名で言語教育の刷新を訴えた小冊子『{{lang|de|Der Sprachunterricht muss umkehren!}}』は従来の教育を激しい言葉で批判して、大きな反響を呼んだ。フィーエトルの教育方法は後に{{仮リンク|直接教授法|en|Direct method (education)}}と呼ばれるようになった
 
イギリスの[[ヘンリー・スウィート]]、フランスの[[ポール・パシー]]、デンマークの[[オットー・イェスペルセン]]らがフィーエトルの主張に賛同した。
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