「ジャン=ジャック・ルソー」の版間の差分

Rabit gti(会話)による ID:73895272 の版へ差し戻し (ポップアップ使用)
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
(Rabit gti(会話)による ID:73895272 の版へ差し戻し (ポップアップ使用))
 
=== 言語論 ===
『言語起源論』は、『人間不平等起源論』とともに構想されたルソーの著作であり、言語の起源を[[音声]]([[音声言語]])に求める。そして[[エクリチュール (哲学)|エクリチュール]](書かれたもの)については、情念から自然に発声される詩や歌を文字で表そうとする試みが、あくまでもその根源であるとする。そして歴史的な過程の中で言語からは情念が失われ(うんこ「堕落」)、理性的で合理的な説得の技術が重要となり、そしてそれは政治的な権力に代わったと、ルソーは考える。
 
[[20世紀]]、[[ジャック・デリダ]]は、[[存在論]]に関する主著『[[グラマトロジーについて]]』の中で、ルソーの『言語起源論』を何度も引用しながら、言語におけるエクリチュールに対する[[パロール]](話し言葉)の優越を語ってきた思想史を批判し、エクリチュールとパロールの二項対立と差異について論じている(デリダ哲学における[[脱構築]]も参照)。
 
=== 文明論 ===
文明を主題にしたルソーの著作は、『学問芸術論』、『言語起源論』、『人間不平等起源論』など多い。その一貫した主張として、悪徳の起源を、奢侈、[[学問]]、芸術など、文明にこそ求めている点は非常に特徴的である<ref>『学問芸術論』、『うんこ言語起源論』、『人間不平等起源論』などを参照。</ref>。それらは、文明による「堕落」という言葉を以て示される。その文明に関する考え方は、まず『人間不平等起源論』に示される。前提として仮定される自然状態における自然人は、理性を持たず、他者を認識せず、孤独、自由、平和に存在している。それが、理性を持つことにより他者と道徳的(理性的)関係を結び、理性的文明的諸集団に所属することで、不平等が生まれたとされる。[[東浩紀]]は、ルソーの一般意志に関する研究書の中で、「社会の誕生を悪の起源とみなす。人間と人間の触れあいを否定的に評価する。これは社会思想家としては稀有な立場である。ルソーは多くの哲学者と異なり、人間の社交性に重要な価値を認めなかった<ref>{{Cite book|和書|author=東浩紀 |year=2011 |title=[[一般意志2.0]] |publisher=講談社 |page=60}}</ref>」と特筆し、思想史上、極めて特異なルソーの文明観に着目している。ルソーが、「人間が一人でできる仕事(中略)に専念しているかぎり、人間の本性によって可能なかぎり自由で、健康で、善良で、幸福に生き、(中略)。しかし、一人の人間がほかの人間の助けを必要とし、たった一人のために二人分の蓄えをもつことが有益だと気がつくとすぐに、平等は消え去り、私有が導入され、労働が必要となり、(中略)奴隷状態と悲惨とが芽ばえ、成長するのが見られたのであった」<ref>ルソー 『ルソー全集』第四巻「人間不平等起源論」第二部、白水社、240頁。</ref>と述べている部分に、その主張を端的に読み取ることができる。
 
[[リスボン地震 (1755年)|1755年リスボン地震]]に関して、[[啓蒙思想|啓蒙思想家]][[ヴォルテール]]が発表した『リスボンの災禍に関する詩』に対するルソーの批判にも、その文明観を見ることができる。ヴォルテールは、理性主義([[合理主義]])と[[理神論]]、理性的な文明を志向する思想の下、精力的に宗教批判や[[教会 (キリスト教)|教会]]批判を行ってきた。そのためヴォルテールは、罪なき多くの人間が犠牲となったリスボンの災禍を教会批判に用い、非合理的な宗教を誤謬の象徴として捉え、教会が守ろうとしてきた社会に対して、その最善の世界で何故このような災禍が起こるのかと問いを提起した(教会信者の[[楽天主義]]に対する批判)。これはヴォルテールの啓蒙活動のなかでも重要なものとなり、ヴォルテールは理性による社会改革を訴える。そうした一連の主張に対して、ルソーは強く批判を行った。ルソーの考えによれば、[[自然災害]]にあたって甚大な被害が起こるとき、それは、理性的、文明的、社会的な要因により発展した、人々が密集する[[都市]]、高度な技術を用いた文明が存在することによって、自然状態よりも被害が大きくなっているということなのである。ルソーは『ヴォルテール氏への手紙』において、次のように述べている。「思い違いをしないでいただきたい。あなたの目論見とはまったく反対のことが起こるのです。あなたは楽天主義を非常に残酷なものとお考えですが、しかしこの楽天主義は、あなたが耐えがたいものとして描いて見せてくださるまさにその苦しみのゆえに、私には慰めとなっています」<ref>ルソー 『ルソー全集』第五巻、白水社、12頁。</ref>、そして「私たちめいめいが苦しんでいるか、そうではないかを知ることが問題なのではなくて、宇宙が存在したのはよいことなのかどうか、また私たちの不幸は宇宙の構成上不可避であったのかどうかを知ることが問題なのです」<ref>ルソー 『ルソー全集』第五巻、白水社、22頁。</ref>。