「航空母艦」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
172行目:
アメリカでは空母化を目的に特務艦艇を設計することはなかったが、太平洋戦争の開戦後、空母兵力の増強が必要になると、基準排水量一万トン以下のクリーブランド級軽巡洋艦の船体を利用して、インディペンデンス級空母9隻を建造している<ref>『別冊歴史読本永久保存版 空母機動部隊』新人物往来社148-149頁</ref>。
 
1942年4月、[[セイロン沖海戦]]で日本がトリンコマリー攻撃中に、イギリス東洋艦隊の空母「ハーミーズ」を撃沈する。5月、[[珊瑚海海戦]]で、日本は軽空母一隻[[祥鳳]]を撃沈され、アメリカは正規空母1隻[[レキシントン]]及び駆逐艦1隻を撃沈された。史上初の機動部隊同士の海戦と言われる。この海戦によって日本の作戦は初めて中止された。6月、ミッドウェー海戦で、日本は空母4隻「[[赤城]]」「[[加賀]]」「[[飛龍]]」「[[蒼龍]]」を失い、アメリカは空母1隻ヨークタウンを失った。1942年7月、日本はミッドウェー海戦で壊滅した第一航空艦隊の後継として[[第三艦隊]]を編制する。
8月には[[第二次ソロモン海戦]]が生起、日本は軽空母1隻龍驤を失い、アメリカは空母1隻エンタープライズが大破した。さらにアメリカは日本潜水艦の攻撃で空母1隻ワスプを失い、もう1隻サラトガが大破。稼働空母が[[ホーネット]]1隻に減少し、第二次ソロモン海戦で大破したエンタープライズを急遽修理して10月、[[南太平洋海戦]]に臨んだ。日本側は空母翔鶴と軽空母各1隻瑞鳳が損傷したが、アメリカは空母1隻ホーネットを失い、1隻エンタープライズが大破、一時的に稼働空母が0になったが、日本側も戦力を消耗しており、戦況を変える覆すまでには至らなかった。
1943年は両者共に戦力の回復に努めた為に艦隊決戦は行われなかったが、工業力の格差によって戦力差は拡大し、日本の新造空母1隻(改装空母2除く)に対して13隻(空母5、軽空母8、護衛空母除く)に達し、航空兵力は3:1日本の439機に対して896機と倍以上にまで開いた。
 
1944年3月1日、[[第二艦隊]](戦艦を中心とした部隊)と編合して[[第一機動艦隊]]が編制された。航空主兵思想に切り替わったという見方もあるが、実態は2つの艦隊を編合したに過ぎないという見方もある。ただ、前衛部隊を軍隊区分によらずに指揮下の部隊から充当できるようになった<ref>『別冊歴史読本永久保存版 空母機動部隊』新人物往来社74頁</ref>。アメリカで本格的な空母機動部隊が編成されたのは1943年の秋に始まる反攻作戦が開始された時期からだった<ref>『別冊歴史読本永久保存版 空母機動部隊』新人物往来社9頁</ref>。アメリカ海軍は兵力を艦型別に編成するタイプ編成と臨時に作戦任務部隊を編成する[[タスク編成]]を導入し<ref>『別冊歴史読本永久保存版『空母機動部隊』新人物往来社 101-102頁</ref>、1943年8月、空母を中心とした艦隊であるタスクフォース38が編成される。