「水原秋桜子」の版間の差分

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[[File:Mizuhara Shuoshi.JPG|thumb|200px|1948年]]
 
'''水原 秋桜子'''(みずはら しゅうおうし、[[1892年]]([[明治]]25年)[[10月9日]] - [[1981年]]([[昭和]]56年)[[7月17日]])は、[[日本]]の[[俳人]]、[[医師]]・[[医学博士]]。'''秋櫻子'''とも表記する。本名は水原豊(みずはら ゆたか)。[[松根東洋城]]、ついで[[高浜虚子]]に師事。短歌に学んだ明朗で叙情的な句風で「ホトトギス」に新風を吹き込んだが、「[[客観写生]]」の理念に飽き足らなくなり同誌を離反、俳壇に反ホトトギスを旗印とする[[新興俳句運動]]が起こるきっかけを作った。「[[馬酔木 (雑誌)|馬酔木]]」主宰。別号に喜雨亭。
 
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* 冬菊のまとふはおのがひかりのみ(『霜林』)
* 瀧落ちて群青世界とどろけり(『帰心』)
 
などの句がよく知られている。『[[万葉集]]』の研究家であった[[窪田空穂]]のもとで学んだ経験から、古語を生かし、万葉調と言われる叙情的な調べを作り出した<ref>『俳句のモダン』 27-28頁。</ref>。従来の俳句に似ず、印象派風とも言われる明るさを持つことも特徴で、それまであまり詠まれなかった高原帯の雑木や野草・野鳥などを詠み込むことも試みられ、これらの傾向は「馬酔木」の俳人たちを通じて俳壇全体に広まっていった<ref>山本健吉「秋櫻子氏の偉業」『水原秋櫻子集』 11頁。</ref>。
 
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以上の句集のほか、随筆、紀行、鑑賞文などの著書が多数ある。
 
== 脚注 ==
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{{Reflist}}
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*[http://zouhai.com/cgi-bin/g_disp.cgi?ids=19961219,19970207,19980905,20000326,20020114,20070126,20070422,20080104&tit=%90%85%8C%B4%8FH%8D%F7%8Eq&tit2=%90%85%8C%B4%8FH%8D%F7%8Eq%82%CC 増殖する俳句歳時記 水原秋桜子の句]
 
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[[categoryCategory:俳人]]
[[Category:日本の医学者]]
[[Category:日本の産婦人科医]]