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== 経歴 ==
=== 選手時代 ===
クラブレベルでは1959年に[[PFCロコモティフ・プロヴディフ|ロコモティフ・プロヴディフ]]へ入団して以来、選手生活の大半を過ごし<ref name="encyclopedia">{{Cite book|和書|author=週刊サッカーマガジン 編|title=サッカーマルチ大典 改訂版|publisher=[[ベースボール・マガジン社]]|year=2006|isbn=9784-4583038803583-03880-1|page=449}}</ref>、5度のブルガリア年間最優秀選手賞を受賞した。1979年に国外のクラブへの移籍が認められ、[[ギリシャ]]の[[AEKアテネFC|AEKアテネ]]へ移籍<ref name="encyclopedia"/>。晩年は古巣のDFSロコモティフへ復帰し、1984年に現役を引退した。
 
[[サッカーブルガリア代表|ブルガリア代表]]としては1967年3月22日に行われた[[サッカードイツ代表|西ドイツ代表]]戦で代表デビューを飾った<ref name="rsssf">{{Cite web|url=http://www.rsssf.com/miscellaneous/bonev-intlg.html|title=Hristo Bonev - Goals in International Matches|publisher=rsssf.com|accessdate=2017-04-28}}</ref>。1970年の[[1970 FIFAワールドカップ|FIFAワールドカップ・メキシコ大会]]ではグループリーグの[[サッカーペルー代表|ペルー代表]]戦で1得点<ref name="rsssf"/>、1974年の[[1974 FIFAワールドカップ|FIFAワールドカップ・西ドイツ大会]]では1次リーグの[[サッカーウルグアイ代表|ウルグアイ代表]]戦で1得点をあげた<ref name="rsssf"/>。その後、1979年4月25日に行われた[[サッカーアルゼンチン代表|アルゼンチン代表]]戦を最後に代表から退くまで、国際Aマッチ96試合に出場し48得点を記録した<ref name="rsssf"/>。