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==来歴・人物==
[[山梨県立塩山高等学校|塩山商高]]から[[駒澤大学]]に入り、後にチームメイトとなる[[関川浩一]]や、[[田口昌徳]]とバッテリーを組んだ。東都大学リーグ通算31試合登板し8勝2敗、防御率2.07、111奪三振。[[1992年]][[プロ野球ドラフト会議|ドラフト]]2位で[[中日ドラゴンズ]]に入団。
ルーキーイヤーである[[1993年]]は右の軟投派の先発投手として7勝を挙げたが、翌年に右肘故障。2度の肘の手術を経て[[1998年]]に4年ぶりに1軍登板を果たし、翌年の[[1999年]]には5年ぶりの1軍勝利を挙げチームのリーグ優勝にも貢献した。しかし鶴田のリハビリしている間に若手の台頭や移籍選手の加入により選手層が厚くなり出番が限られてしまい[[2001年]]に[[紀藤真琴]]とのトレードで[[広島東洋カープ]]に移籍。[[2003年]][[9月15日]]の[[阪神甲子園球場]]の試合では満塁策を取りに行くも、[[赤星憲広]]にサヨナラ打を浴び阪神の優勝を招くことになってしまった。
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