「青島幸男」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
134行目:
[[2001年]]、第二院クラブ代表に復帰。[[第19回参議院議員通常選挙]]に比例区から出馬するも落選。
 
[[2004年]]の[[第20回参議院議員通常選挙]]に[[東京都選挙区]](定数4)から無所属で出馬する。ポスターには「選挙にも行かないでがたがた抜かすんじゃねぇこの野郎!!青島だぁ文句あるか!?」の極めて挑発的なフレーズを掲げ、自らがかつて作詞した「どんとドント節」の選挙版替え歌(セルフパロディ)を陽気に3回も熱唱し、歌の合間に政見を少し話すという極めて異色な政見放送を行う<ref>{{Cite web |url=http://h16-san-in-sen.tripod.com/ |title=平成16(2004)年 第20回参議院議員通常選挙 政見放送再録 |accessdate=2017-11-29}}</ref>。596,272票を獲得したが、次点で落選した。青島はこの年の参議院選挙での落選を最後に、事実上政界を引退することとなった。
 
[[2006年]][[12月20日]]午前9時31分、[[骨髄異形成症候群]]のため死去。74歳だった。叙・[[正四位]]、[[旭日重光章]]受章。[[戒名]]は廉正院端風聚幸大居士。[[上皇明仁]]から、一般の[[香典]]にあたる[[祭粢料|祭祀料]]を下賜される。都の職員100人以上がボランティアとして通夜・葬儀を手伝った。葬儀には盟友である[[植木等]]も参列したが、植木もこの時すでに[[肺気腫]]によって体調を崩しており、酸素吸入器を付けなければならない状態だった。植木にとっても、これが公の場で見せた最後の姿となる。なお、植木は青島の後を追うように、青島の告別式からちょうど3カ月後の[[2007年]][[3月27日]]に死去している。