「偽フレデガリウス年代記」の版間の差分

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クルシュによる校訂本において、年代記は4巻にわけられている。第三巻まではそれ以前の著作をもとにしており、天地創造から584年までを扱っている。第四巻は642年までと655年から660年の間に発生する事件の暗示となっている{{sfn|Goffart|1963|p=206}} 序章において著者は書いている:
 
<blockquote>{{quotation|私は非常に注意深く聖ヒエロニムスや{{仮リンク|ヒダティコス|en|Hydatius}}、ある賢者、[[イシドールス]]、[[トゥールのグレゴリウス]]の年代記を読んだ。それは天地創造から{{仮リンク|グントラム(ブルグンド王)|en|Guntram}}の支配の傾く年までを扱っており、私はこの小著で、適した言葉で省略なしに続きを書き、前述の5人の年代記を学んだ本書において、これら5人の年代記を短くをまとめることに成功した{{sfn|Goffart|1963|p=210}}{{sfn|Krusch|1888|p=[http://www.dmgh.de/de/fs1/object/goToPage/bsb00000749.html?pageNo=123&zoom=1.00 123]}}。</blockquote>}}
 
実際には、フレデガリウスは 彼が存在をしらなかった諸史料から引用し、彼が知っている史料のいくばくかは大幅に圧縮した。彼は、5人の主要史料に由来していないテキストを追加している。これら追加された節は"挿入"として扱われている。これら史料の多くは知られていない{{sfn|Goffart|2009}}。いくつかの挿入部は年代記を通してフランク人のトロイア起源の伝説を織り込むことに利用された{{sfn|Wallace-Hadrill|1958|pp=536-539}}{{sfn|Goffart|1963|p=215}}。
 
;第一巻
:第一巻の最初の24章は[[ヒッポリュトス]]の著作に由来している無名者の著作''Liber generationis''に基づいている。 残りの部分は、ローマ皇帝やユダヤの諸王、ローマ教皇の一覧を含む多様な年代記の便覧を含み、642年の[[テオドルス1世 (ローマ教皇)|テオドルス1世]]の即位までが扱われている。この部分は、セビーリャのイシドールの年代記の第三章を含んでいる{{sfn|Goffart|1963|pp=211-212}} フランスの歴史家{{仮リンク|ガブリエル・モンド|en|Gabriel Monod}}によれば、教皇一覧を含むフォリオの裏面には、恐らく[[エウセビオス]]と[[ヒエロニムス]]の年代記が記載されていた{{sfn|Monod|1885|refname=Monod188525 fn. 1BnF|p=[http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k61061331/f35.image 25 fn. 1]}}{{sfn|Goffart|1963|p=211}}。
:
 
;第二巻
:第二巻の最初の49章は{{仮リンク|エウセビオスの教会史|en|Chronicon (Eusebius)}}のヒエロニムスによるラテン語訳から取り出された部分を含んでいる。テキストにはいくつかの挿入がある。残りの章は、{{仮リンク|ヒダティコスの教会史|en|Hydatius#Chronicle}}から取り出された内容を含んでいる{{sfn|Goffart|1963|p=210}}{{sfn|Schwedler|2013|p=74}}。
:
 
;第三巻
:第三巻はトゥールのグレゴリウスの「歴史十書」の2-4巻からの抜粋といくつかの挿入を含んでいる。フレデガリウスの史料はグレゴリウスの最後の四章を欠いていたことを示していて、グレゴリウスからの引用部分は584年で終わっている{{sfn|Schwedler|2013|p=74}}。
:
 
;第四巻
:第四巻の90章はブルグンド人の宮廷に関する諸事件を含んでいる。フレデガリウスは史料を明らかにしていないが、最初の方の章は恐らく地方の年代記を基にしている。24-39章は603から613年の間の諸事件の目撃者からの記述を含んでいる{{sfn|Schwedler|2013|p=74}}。36章は{{仮リンク|聖コルンバヌス|en|Saint Columbanus}}の生涯の挿入である。当該部分は、{{仮リンク|ボッビオのヨナス|en|Jonas of Bobbio}}による''Vita Columbani''からの、ほとんど変更なしのコピーである。 {{sfn|Goffart|1963|p=232}}{{sfn|Krusch|1888|pp=134-138}} この巻は642年で突然終了している{{sfn|Schwedler|2013|p=74}}。第四巻は他の中世史料にない情報を含んでいるため、歴史家によりほとんど研究し尽くされている。
 
==続編==
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''続編''は3つの部分に分けられる。最初の10章は『''{{仮リンク|フランク史書|en|Liber Historiae Francorum}}''』と、721年頃で終わっている匿名の[[ネウストリア]]人年代記に基づいている。第二の部分(11章から33章)は751年までを扱っている。 [[カール・マルテル]]の弟の{{仮リンク|チルデブランド|en|Childebrand}}伯が年代記の筆者に指示したことを表す[[コロフォン]]がテキストに挿入されている。ウォレス・ハドリルのコロフォンの翻訳:
 
<blockquote>{{quotation|この時点まで、ピピン王の叔父である光輝あるチルデブランド伯は、フランク人が残した業績(geste)と歴史を残すために大変な苦労を味わった。続きの部分は、光輝あるニーベルングの伯であるチルデブランドの子息の権威によるものである{{sfn|Wallace-Hadrill|1958|p=528}}{{efn|ラテン語テキストは: ''Usque nunc inluster vir Childebrandus comes, avunculus praedicto rege Pippino, hanc historiam vel gesta Francorum diligetissime scribere procuravit. Abhinc ab inlustre viro Nibelungo, filium ipsius Childebrando, itemque comite succedat auctoritas.''{{sfn|Krusch|1888|p=[http://www.dmgh.de/de/fs1/object/display/bsb00000749_00191.html?zoom=1.00 182]}}}}。</blockquote>}}
 
年代記は、その他の20章が768年までのフランキアにおける諸事件を扱っている{{sfn|Fouracre|2000|p=7}}。
 
中世研究家{{仮リンク|ロジャー・コリンズ|en|Roger Collins}}は、第四群のテキストは''コーデックス・クラロモンタヌス(Codex Claromontanus)''の''フレデガリウス年代記''とは非常に異なっていて、最早別の著作であると考えるべきだ、と論じている。彼は新しい題名として、''Historia vel Gesta Francorum(フランク王国の歴史と業績)''を提案している。それは上述のコロフォンが示す通りである。彼は、一人の著者が751年までの記述の責任を負っていて、恐らく別の著述家が追加の章を書いたのだ、との考えを提出している{{sfn|Collins|2009a}}{{sfn|Collins|2009b}}。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
 
==参考文献==
{{reflist|30em}}
 
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| url=http://digi.ub.uni-heidelberg.de/diglit/cpl864 | accessdate=23 June 2016}}
 
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[[Category:660年没]]
[[Category:年代記作家]]
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[[Category:フランク時代の人物]]
[[Category:生年不明]]
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