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李斯の長男であり、弟とともに秦王室の[[公主]]を娶っていた。秦王朝によって、三川郡(洛陽などを含む今日の河南省西よりの一帯<ref>大櫛敦弘「三川郡のまもり--「秦代国家の統一支配」補論」25頁</ref>の郡守に任じられていた。李由が休暇で[[咸陽市|咸陽]]に帰り,李斯は自邸で酒宴を開くと、百官の長は全て進み出て、寿を祝い、門廷には車や馬が数千を数えるほど集っていた<ref>大櫛敦弘は「一族の中でも特に李由の「三川守」のみが特筆されていることは、この三川郡守という地位が父親の権勢に対して釣り合うような顕職であったことをうかがわせる」としている。大櫛敦弘「三川郡のまもり--「秦代国家の統一支配」補論」29頁</ref>。
同年8月、李由が守る滎陽にまで呉広が進軍してきて、滎陽は包囲される。李由は滎陽を守備し、呉広は落城させることができなかった。
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