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専門学校を卒業後、東映テレビプロダクションの現場に参加し、『[[宇宙刑事ギャバン]]』(1982年)の最終三部作([[田中秀夫]]監督組)より東映特撮作品の現場に携わるようになる。以降、同作品に端を発した[[メタルヒーローシリーズ]]や[[仮面ライダーシリーズ]]など、[[アサツー ディ・ケイ|ADK]]が制作に関与した作品に、演出部として多数参加。このうち平成仮面ライダーシリーズでは4作品でパイロット演出も手がけている。一方、平成仮面ライダーシリーズの主要演出陣では珍しく、[[スーパー戦隊シリーズ]]への参加経験は無い。
『[[時空戦士スピルバン]]』の終盤から『[[機動刑事ジバン]]』まではチーフ助監督とセカンド助監督を担当。『[[特警ウインスペクター]]』(1990年)にてチーフ助監督に昇進し、翌年放送の『[[特救指令ソルブレイン]]』第19話「亀ちゃんと探偵娘」にて、28歳で監督デビュー。これは当時の東映特撮作品史上、最年少での監督デビューだった。『[[ビーファイターカブト]]』(1996年)第1話・第2話の助監督を務めた後に第5話より正式に監督ローテーション入りし、『[[仮面ライダークウガ]]』(2000年)にて初のメイン監督を担当した。『[[仮面ライダードライブ]]』(2014年)終了後はテレビシリーズの演出からは離れ、『[[仮面ライダーアマゾンズ]]』(2016年)を始めとするネットムービーやオリジナルビデオ、映画を中心に、引き続き同シリーズ関連の作品の演出に携わっ
2019年6月以降は活動拠点を大分県に移したことが、元東映プロデューサーの[[高寺成紀]]のTwitterアカウントで公表された<ref>Twitter [https://twitter.com/taka_69s/status/1134473458597781504 @taka_69s 2019年5月31日]</ref>。
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