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[[File:Togoland.jpg|thumb|left|[[ドイツ領トーゴラント]]([[1908年]])]]
 
沿岸部には[[15世紀]]末に[[ポルトガル人]]が渡来し、[[16世紀]]以降は[[奴隷海岸]]の一部として知られたが、この地域を領する大規模な国家は存在せず<ref>「対照的な民主化の歩み ベナンとトーゴ」p784 岩田拓夫(「朝倉世界地理講座 アフリカⅡ」所収) 池谷和信、佐藤廉也、武内進一編、朝倉書店、2008年4月</ref>、[[19世紀]]まで奴隷の供給地とされていた。
[[15世紀]]末に[[ポルトガル人]]が渡来した。
 
[[16世紀]]以降は[[奴隷海岸]]の一部として知られた。
 
[[19世紀]]まで奴隷の供給地とされていた。
 
[[1884年]]に[[ドイツ]]の探検家[[グスタフ・ナハティガル]]によって海岸地域が保護下におかれ、[[1885年]]トーゴ全域が'''[[ドイツ領トーゴラント]]'''と宣言された。
[[第一次世界大戦]]にドイツが敗戦すると、[[イギリス]]と[[フランス]]による[[委任統治]]領とされ東西に分割された。フランスは東部の[[フランス領トーゴランド]]を、イギリスは西部の[[イギリス領トーゴランド]]を統治した。[[1946年]]には[[国際連合]]の[[信託統治]]領へと改組されたが、植民地支配が継続されたことに変わりはなかった<ref>「対照的な民主化の歩み ベナンとトーゴ」p784 岩田拓夫(「朝倉世界地理講座 アフリカⅡ」所収) 池谷和信、佐藤廉也、武内進一編、朝倉書店、2008年4月</ref>
フランスは東部の[[フランス領トーゴランド]]を、イギリスは西部の[[イギリス領トーゴランド]]を統治した。
 
[[1956年]]、フランス領地域は自治権を獲得した。[[1957年]]、イギリス領地域はのちの[[ガーナ]]となる[[英領ゴールド・コースト|イギリス領黄金海岸]]と併合された。
[[1946年]]、[[国際連合]]の[[信託統治]]領として植民地支配が継続された。
 
[[1956年]]、フランス領地域は自治権を獲得した。
 
[[1957年]]、イギリス領地域はのちの[[ガーナ]]となる[[英領ゴールド・コースト|イギリス領黄金海岸]]と併合された。
 
=== 独立後 ===
[[File:Gnassingbé Eyadema, 1972.jpg|thumb|140px|第3代大統領[[ニャシンベ・エヤデマ]]]]
 
[[1960年]][[4月27日]]、フランス領地域が独立し、トーゴ共和国が建国された。初代大統領には南部出身の[[シルバヌス・オリンピオ]]が就任した。しかし[[1963年]]1月、[[クーデター]]でオリンピオが暗殺され、[[ニコラ・グルニツキー]]元[[首相]]が大統領に就任した。
 
[[1963年]]、[[クーデター]]で[[シルバヌス・オリンピオ]]初代[[大統領]]が暗殺され、[[ニコラ・グルニツキー]]元[[首相]]が大統領に就任した。
 
[[1967年]][[1月]]、[[ニャシンベ・エヤデマ]]陸軍中佐がグルニツキー大統領を追放し、[[4月]]には自ら大統領に就任した。