「シロアム碑文」の版間の差分

シロアム・トンネルは1838年に[[エドワード・ロビンソン (学者)|エドワード・ロビンソン]]によって発見された<ref>Amihai Mazar, ''Archaeology of the Land of the Bible'' [1990] 484</ref>。トンネルは19世紀の間にロビンソン、{{仮リンク|チャールズ・ウィリアム・ウィルソン|en|Charles William Wilson}}、{{仮リンク|チャールズ・ウォレン|en|Charles Warren}}によって詳細に調査されたものの、碑文を発見したものはいなかった。おそらく蓄積された鉱物性の付着物によって気づきにくくなっていたためであろう。『[[イーストン聖書辞典]]』によると<ref name="Easton">{{cite book|url=http://www.ccel.org/ccel/easton/ebd2.html?term=Siloam,%20Pool%20of|chapter=Siloam, Pool of|title=[[イーストン聖書辞典|Easton's Bible Dictionary]]}}</ref>、1880年にヤコブ・エリアフという青年が<ref name="Montefiore">{{cite book|title=Jerusalem. The Biography|author=Simon Sebag Montefiore|page=42|publisher=Weidenfeld & Nicolson|year=2011|isbn=9780297852650}}</ref><!-- see [[Horatio Spafford]] -->トンネルを泳ぐか歩いて渡るかしているときに、トンネル東側の、シロアムの池から19フィート(5.8メートル)ほどはいった所で岩に刻まれた碑文を発見した。碑文は1891年にトンネルの壁から不正に削り取られ、断片になったが、イギリス公使の努力によって復元されて{{仮リンク|イスタンブール考古学博物館|en|Istanbul Archaeology Museum}}に置かれた<ref>[http://www.jewishencyclopedia.com/articles/13662-siloam-inscription 『ジューイッシュ・エンサイクロペディア』の記事] (1906) によれば「碑文は盗もうとして破壊された。しかし断片は現在コンスタンチノープルの博物館にある。取られた型から作られた複製がパリ、ロンドン、ベルリンにあり、その配置を正確に考えたり、ほぼ完全に解読したりすることが可能になっている。」</ref><ref name="Seed">{{citation|author=Lawson Stone|url=https://www.seedbed.com/what-goes-around|title=What Goes Around: The Siloam Tunnel Inscription|date=20 August 2014|accessdate=6 April 2018}}</ref>。
 
[[ダビデの町|古代のエルサレムの町]]は山の上にあり、ほぼすべての方向に対する天然の防壁をなすが、その主要な水源であるギホンの泉は崖の傍らの[[ケデロンの谷]]を望む場所にある。聖書によれば[[アッシリア]]がイスラエルの町を包囲して、町の外にある泉の水を遮断することを恐れた[[ヒゼキヤ]]王が、町の外にある泉の水を止め、水道によって水をシロアムの池へ導いた。
 
== 聖書での参照箇所 ==