「マルセル・セルダン」の版間の差分

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== 愛の讃歌 ==
セルダンはある日[[パリ]]の酒場に立ち寄り、歌っていた[[エディット・ピアフ]]と出会う。「どうして悲しい歌ばかり歌うの?」セルダンは聞き、「どうして殴るの?」とピアフは返した。初めて会った時から惹かれあった2人の仲は大恋愛へと発展する。ピアフは2日毎にセルダンにラブレターを送ったと言う。
 
ピアフはセルダンのために『[[愛の讃歌]]』(Hymne à l'amour)を書いた。この歌はセルダンの死を哀しんで書かれた物と言われてきたが、セルダンの生前に書かれた物だと判明している。相思相愛で誰もが知る仲ではあったが、妻子を持つセルダンとの恋愛に終止符を打つ為に書いた物だと考えられている。『[[ラ・ヴィ・アン・ローズ|ばら色の人生]]』(La Vie en rose)と並び彼女の代表曲であり、多くの歌手がカバーをしている。
 
セルダンはラモッタとの再戦に向け当初は航路で行く予定だったが、コンサートで[[ニューヨーク]]にいたピアフの「早く会いに来て」との言葉により空路で行くことを決めた。ピアフは女優の[[マレーネ・ディートリヒ]]とニューヨーク・[[ラガーディア空港]]でセルダンを出迎える予定だった。ディートリヒは墜落の報をピアフへ伝えた。ピアフは激しい悲しみと衝撃に襲われたが、予定の公演を行うことを決めた。親友を思うディートリヒは「あなたが死ねば、私も死ぬ」という歌詞がある『[[愛の讃歌]]』だけは歌わないように求めたが、ピアフはこの日発表する予定だったこの歌を歌うことを決め、舞台で歌った。