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'''ピアチェンツァ公会議'''(ピアチェンツァこうかいぎ、{{lang-it|Concilio di Piacenza}})は、聖職者と平信徒から成っていた[[カトリック教会|ローマカトリック教会]]の教会会議で、1095年3月1日から3月7日にかけて[[ピアチェンツァ]]で開催<ref>ロバートサマーヴィル、''教皇アーバン2世ピアチェンツァ評議会'' 、(Oxford University Press、2011)、5、11。</ref>。
 
公議会は[[ウルバヌス2世 (ローマ教皇)|ウルバヌス2世]]の[[イタリア]]と[[フランス]]の視察の終わりに開催された。[[ウルバヌス2世]]が[[叙任権闘争|聖職叙任権闘争]]で失った権限を、当時の[[ハインリヒ4世 (神聖ローマ皇帝)|神聖ローマ皇帝]][[ハインリヒ4世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ4世]]から取り戻すことを再主張するために会の発足を呼びかけた。200人の司教が出席し、4000人の教会員と3万人の平信徒が出席した。<ref>ロバートサマーヴィル、''教皇アーバン2世ピアチェンツァ評議会'' 、57。</ref>町の外で公会議が開かれなければならないほどに非常に多くの人たちが集まった。
 
== 出席者 ==