「電算写植」の版間の差分

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=== レーザ写植機(第4世代電算写植機) ===
文字と画像を一括して出力するシステムが求められていた。そのため写研は、CRT写植機の開発のために写研が提携したオートロジック社の「APS SCAN」を利用し、図版原稿をレーザーでスキャンするスキャナの「SAPGRAPH-L」を1979年に発表。また文字と画像を一括して出力する「レーザ出力機」の「SAPLS」を1979年に発表。また、レーザ出力機だとドットフォントでは実用に耐えない事から、これまでのようなドットのデジタルフォントではなく、レーザ出力機でも文字が崩れずに出力できる「アウトラインフォント」も開発された
 
また、レーザ出力機だとドットフォントでは実用に耐えない事から、これまでのようなドットのデジタルフォントではなく、レーザ出力機でも文字が崩れずに出力できる「アウトラインフォント」も開発された。1981年、写研はアウトラインフォントの制作の為に、独URW社製のタイポグラフィー制作ソフト「[[:en:Ikarus (typography software)|IKARUS]]」(イカルス)を導入。写研は1981年当時「[[ゴナ]]」のファミリー化を進めており、書体デザイナーの中村征宏がデザインした「ゴナU」「ゴナE」をベースに光学処理によって「ゴナO」を制作・発表したところだったが、このイカルスシステムを用いてゴナのアウトライン化と同時に多ファミリー化を行うことにする。それまではファミリー書体の制作は全て人力で行っており、1つのファミリー書体の制作に1年はざらにかかったが、イカルスシステムを用いることでコンピュータによって中間のウエイトの文字を自動的に作成でき、ファミリー書体の製作の効率化と統一したデザインが可能となった。写研は「ゴナL」「ゴナM」などを制作し1983年に発表、1985年にはさらに「ゴナH」「ゴナOH」などを発表し、「ゴナ」においてそれまで前例のない書体の大ファミリーを完成させる。イカルスシステムがアウトラインフォントの制作と書体のファミリー制作に有用であることが分かったので、写研は続いてイカルスシステムを用いた「[[本蘭明朝]]」と「[[ナール]]」のファミリー化およびアウトラインフォント化に着手する。1985年以降もファミリーが拡充され大ファミリーを形成した「ゴナ」は、写研の電算写植機とともに1980年代から1990年代にかけての日本の出版業界において多用されることになった。
 
写研による「レーザ写植機」の実用機は、1980年代前半より相次いで市販された。また、当時は日本の写植業界2位であったモリサワも、1980年に独ライノタイプ社と提携して電算写植機に参入し、同時期の写研の「SAPTONシステム」と同様のレーザ写植機「ライノトロン・システム」を展開している。
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=== DTPへの移行 ===
[[File:Shinkansen_Shinagawa_Station_South_gate.jpg|thumb|電算写植で印刷された写研の「ゴナ」と、DTPで印刷されたモリサワの「新ゴ」が混在している。「きっぷうりば」は新ゴ、「Shinkansen Tracks」は[[Helvetica]]、他の文字はゴナ]]
モリサワは「MC型手動写植機」の成功で、手動写植の時代には写研に続く組版業界第2位であり、1976年には電子制御式の手動写植機「MC-100型」、1978年にはブラウン管ディスプレイを搭載して写植の印字を史上初めて肉眼で確認できるようになった「モアビジョン」を発表するなどしていたが、電算写植への動きはかなり遅く、モリサワと独ライノタイプ社との合弁会社であるモリサワ・ライノタイプ社によって1980年に発売された「ライノトロン」がモリサワによる最初の電算写植機となった。電算写植機への参入は遅かったものの、「ライノトロン」シリーズの最初の製品であるデジタルフォント式電算写植機「ライノトロン202E」は、発売から3年で100台を納品するヒット商品となった。1986年には、電算写植用の新しいゴシック体ファミリーを制作するためにイカルスシステムを導入し<ref>[https://www.morisawa.co.jp/culture/inside-story/1996 story 第一回 新ゴ(上)] - 株式会社モリサワ</ref>、4年がかりで「新ゴシック体」(1993年にPostScriptフォント化されてDTP用として再発表された際の「[[新ゴ]]」の名称で知られる)を制作、1990年に発表する
 
写研・モリサワに次ぐ業界3位だったリョービ印刷機販売(リョービ)も、1983年に同社初の電算写植機となる「REONET300」を発表。1986年頃には、自社のフォントをアウトラインフォント化するため、独URW社製のタイポグラフィー制作ソフト「[[:en:Ikarus (typography software)|IKARUS]]」(イカルスシステムを導入。
 
このような状況の日本に、DTPを引っ提げて米[[アドビシステムズ|アドビ]]社がやってくる。
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1985年、ライノタイプ社はDTPにおいてアップルやアドビなどと提携し、DTPに対応(Postscriptに対応)したイメージセッタ「ライノトロニック100」を発表。一方、日本でライノトロン社の製品を販売するモリサワ2代目社長の森澤嘉昭は「(自社の看板商品である)ライノトロニックがMacで動く」という、後に「DTPの創始」とされる1985年に国際印刷機材展ドルッパ(drupa)で行われたデモンストレーションを目撃したことで、DTPに興味を持っていたことから、モリサワはライノタイプの仲介で1986年に米アドビ社と提携。1987年には新入社員の森澤彰彦(モリサワ創業家の跡取りで、後に3代目社長)にDTPを身に着けさせるため、4か月間米アドビ社に派遣するなど、積極的にDTPを推進することになる<ref>[https://www.weeklybcn.com/journal/hitoarite/detail/20160926_32876.html モリサワ 代表取締役社長 森澤彰彦] - 週刊BCN+</ref>。日本語Postscriptフォントの制作にあたっては、イカルスシステムが使い物にならなかったためアドビ製のソフトウェアを導入し、20人体制で1年以上の制作期間となるなど難航したが、モリサワは1989年にアドビよりポストスクリプト日本語フォントのライセンスを取得。同年には日本初のポストスクリプト書体となる「リュウミンL-KL」と「中ゴシックBBB」が搭載されたプリンター「LaserWriter NTX-J」がアップル社より発売され、日本におけるDTP元年となった。
 
1990年代に入ると、DTPは電算写植を急速に置き換えていく。DTPで利用できるフォントは、当初はモリサワの2書体だけであったものの、1989年には財団法人日本規格協会文字フォント開発・普及センターによる[[平成書体]]がリリースされ、また1991年には[[フォントワークス]]社(日本代理店ではなく香港の本社)からアップルのサードパーティ製としては初となる日本語フォントがリリースされるなど徐々に増えていく(ちなみに、[[工業技術院]]の求めに応じて写研が制作し、平成書体に収録された「平成丸ゴシック」が、2019年現在までDTPで利用可能な唯一の写研フォントである)。特に、1970年代から1990年代にかけて非常に広範囲に使わ当時の製版業界で多用さていた写研の電算写植システム用フォント「ゴナ」とよく似たデジタルモリサワの電算写植用フォント「新ゴシック」Postscriptフォント化されモリサワのDTPで使える「新ゴ」として1993年に発売されたことが大きく、写研は1993年にモリサワを訴えたが2000年に敗訴した。1992年リリースの日本語版Mac OS「漢字Talk 7.1」では、アドビのPostscriptフォントに対抗すべくアップル社が開発した[[TrueType]]フォントがOSレベルで標準サポートされ(それまでのMacでは、Postscriptフォントがプリンターに搭載されていたのに対し、OS側ではビットマップフォントしかサポートされていなかったため、画面に表示される文字はギザギザだった)、モリサワフォント、リョービフォント、平成フォント、そしてアップル製のOSAKAフォントが標準搭載されるなど、DTPを扱う環境も整備されていった。
 
特に小規模印刷で大きなシェアを得ていた写研のSAPTONシステムだが、印刷までの工程ごとに複数の高価な専用ハードウェアが必要とされる電算写植に対して、市販のMac1台とDTPソフトの「QuarkXPress」1本で完結するDTPの方が圧倒的に安価であり、また従来は複数の専門オペレータによって分業されていた工程をDTPでは一人で行えるようになるという点でも、小規模システムはDTPへの移行が早く、電算写植のシステムは1990年代前半から後半にかけてMacを使ったDTPベースのシステムに置き換えられた。写研はDTPの流れに対抗すべく、MacやWindowsなどで作成されたデータもSAPCOLで編集できる「SAMPRAS」(サンプラス)システムを1997年に発表したが、DTPベースのシステムと比較すると極めて高価であり、また電算機が写研のサーバーに接続されてフォントの使用1文字あたりで課金されるという「従量課金制」と言う点でも、小規模印刷所には受け入れられなかった。
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2000年代以降にはPCで利用可能なデジタルフォントも充実し、写研を除くかつての写植メーカーがDTP向けのフォントの販売を行っているほか、Indesignでは扱うのが面倒な日本語の大規模自動組版向けのソリューション(モリサワの「[[MC-Smart]]」など)も存在している。かつて写植機と言う「ハードウェア」を販売していたモリサワは、デジタルフォントやDTPソフト、その他をひっくるめた「ソリューション」を販売する業態に転換した。リョービ(リョービ印刷機販売→CI導入でリョービイマジクスに社名変更→2012年にリョービ本体に吸収→2014年にオフセット部門が三菱重工印刷紙工機械と合併してリョービMHIグラフィックテクノロジー)はDTP時代においても中小型オフセット印刷機においては世界的な大手メーカーであり続けているが、電算写植機部門は早い時期に廃止したらしく、フォント部門は2011年にモリサワに買収され消滅した。
 
写研は2000年代以降もDTPへの対応を全く行っていない。そもそも写研は情報公開に消極的で、2000年に電算写植用フォント書体「本蘭ゴシック」を発表して以降の新作書体の発表が無く、公式ウェブサイトすら存在しないため、DTP時代への対処を検討しているのかしていないのかすらよく解っていない。2011年の「第15回電子出版EXPO」に写研が出展し、写研の名作フォントである「ゴナ」や「ナール」を[[OpenType]]フォント化する予定があるとのアナウンスを行ったが、2018年現在でも公開されていない。写研は2018年時点でも、写研のフォントが利用できることをウリとする電算写植システムの販売・レンタル・フォント使用料の徴収などを軸とした、独自のビジネスモデルを続けている(その意味で、電算写植の時代はまだ終わっていないともいえる)。
 
2000年に発売された写研の組版システム「Singis」はWindowsベースのシステムで、Photoshopやillustratorなども利用できるが、「Signis」に搭載された写研のフォントは独自形式で、写研のソフトウェアからしか利用できない。また、「Signis」と組み合わされる写植の各工程の専用ハードウェアはそれぞれ数百万円くらいするため、Mac1台で完結するDTPと比較すると著しく高価であり、さらに使用するたびに使用料がかかかる「従量課金制」である。「Singis」には「SAPCOL」で記述された昔の電算写植データをPDF化する機能もあるため、いくつかの業者においては2010年代以降の電子書籍時代においても活用されているが、写研の閉鎖的なエコシステムは複数のソフトウェアやフォントを自由に利用する前提のDTPとは正反対で、ほとんどの業者においては電算写植時代のデータが2000年代以降に受け継がれることがないまま、電算写植機オペレータの廃業とともに歴史のかなたに消えることとなった。