「ザ・ビーチ・ボーイズ」の版間の差分

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[[1988年]]、亡くなったデニスをはじめとして、マイク、カールもソロアルバムを発表済みだったが、とうとうブライアンがソロアルバム『ブライアン・ウィルソン』を発表する。このアルバムは精神分析医ユージン・ランディの強い影響下で作られたものであった。ブライアンの才能が発揮された佳作で、一部で熱狂的に迎えられたものの、一般に大きな反響をもたらすものではなかった。皮肉なことに、同年ブライアン以外のメンバーがビーチ・ボーイズ名義で発表した映画『[[カクテル (映画)|カクテル]]』の主題歌「[[ココモ (曲)|ココモ]]」が22年ぶりの全米No.1を獲得する大ヒットとなる。サーフィンUSAと同じ構成の地名を繰り返し使った作り方、コーラスハーモニーと、スティールドラムなどを取り入れたトロピカル・サウンズに仕上がっている。(ブライアンはレコーディングに誘われていたがスケジュールが合わずに不参加。その後、この曲のスペイン語バージョンのレコーディングに参加した)。なおテレビドラマ『[[フルハウス (1987年のテレビドラマ)|フルハウス]]』の中でブライアンは久々にメンバーと共演し「ココモ」を披露している(「ビーチボーイズがやって来た!」の回)。また、この年グループは「[[ロックの殿堂]]」入りを果たす。なお、後に「ボーカルグループの殿堂」([[1998年]])入りも果たしている。
 
その後もメンバー同士で、さまざまな理由で互いに訴訟合戦を繰り広げながら、音楽上の交流は若干ながら続いていた。しかし、バンドとしてのビーチ・ボーイズにとって最大の悲劇が起こる。演奏面での実質的なリーダーだったカール・ウィルソンが肺癌で[[1998年]][[2月6日]]に死去したのだ。これで、ブライアンを除くメンバー間に残っていた結束も失われてしまった。マイク・ラヴとブルース・ジョンストンは、ブライアンの承認を得て「ザ・ビーチ・ボーイズ」の名前を引き継ぎ、主にライヴを中心に精力的に活動するようになった。アル・ジャーディンは、ブライアンの娘たちや、自分の息子などとともに「アラン・ジャーディン・ファミリー&フレンズ」というバンドを結成し、他のメンバーとは離れていった。ユージン・ランディの影響から脱したブライアンのソロ活動も徐々に軌道に乗りはじめた。彼を尊敬する[[ワンダーミンツ]]やジェフリー・フォスケットなどのミュージシャンによるサポートを受けて、ビーチ・ボーイズ時代の作品や当時レコーディングに失敗した多くの作品にふたたび命を与えるライブを行う。そして2004年には37年越しに『スマイル』を完成させファンを狂喜させた。
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