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一般的には[[美ヶ原]]の美しの塔に刻まれた詩'''「美ヶ原熔岩台地」'''が知られている。また、戦後の7年間、長野県に住み、後期の代表作である詩集『花咲ける孤独』を書いた。この時期に、戦前から続く長野県の自然と郷土と山々への愛着はさらに深まり、[[長野県豊科高等学校]]をはじめ県下の多くの小中学校、高校の[[校歌]]の作詞を手掛けた。また、職業野球球団の『[[翼軍|東京セネタース]]』球団歌の作詞も手掛けている。
 
現在、富士見町立「[[富士見町|高原のミュージアム]]」には、喜八の遺品、文学資料が多数収蔵・展示されているほか、北海道斜里町の「北のアルプ美術館」でも展示・資料研究が行われている。遺族・支持者・研究者からなる「尾崎喜八研究会」による年鑑「尾崎喜八資料」(1985〜、ISSN 0911-3339)が16号(2000)まで刊行されている。
 
毎年、2月第1土曜日を目処に、遺族・ファン・研究者が集う「臘梅忌」が東京で開かれている。(2014年現在、第40回)
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