「チリ・クーデター」の版間の差分
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→アジェンデ大統領の任期中: 国際仲裁の提案について一言言及した |
→アジェンデ大統領の任期中: 物不足とインフレの真の理由 |
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こうした事態に直面したアジェンデは、銅の接収の問題を国際仲裁によって解決することを提案した。ところがニクソン政権は、1914年の二国間条約を持ち出すことによってアジェンデの提案を拒否した。その条約には「一方もしくは両方の国の自主、名誉あるいは重要な利益を害するおそれのある問題(中略)は、どのような仲裁も受けない」と記されているから、というのがその理由だった<ref name=":0" />。
しかし、それにもかかわらず、アジェンデ政権に対する国民の支持はさほど低下していなかった。1973年3月の総選挙では、人民連合は43%の得票でさきの統一地方選よりは減ったが、依然として大統領選を上回る得票で議席を増加させた。しかし、大統領選の決選投票ではアジェンデ支持に回ったキリスト教民主党が、アメリカの[[ヘンリー・キッシンジャー]][[アメリカ合衆国国務長官|国務長官]]の意向を受けたCIAの働きかけで反アジェンデに転回したため、アジェンデ政権は窮地に追い込まれていく。
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