「アメリカ同時多発テロ事件」の版間の差分

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[[ファイル:Saudi Crown Prince Abdullah and George W. Bush.jpg|thumb|right|220px|ブッシュ大統領とサウジアラビアのアブドラ皇太子(当時)]]
アメリカ同時多発テロは、外国の軍や過激派がアメリカ本土を襲撃した事件として、真珠湾攻撃と度々対比されている。真珠湾攻撃はアメリカ本土ではなく[[ハワイ]]が襲撃された事件であったが、アメリカ同時多発テロはアメリカ'''本土'''が襲撃された事件という意味でも衝撃的な大事件ともなった(なお[[1942年]]には[[アメリカ本土空襲|日本海軍機がアメリカ本土を爆撃]]している)。しかも、真珠湾攻撃とアメリカ同時多発テロ事件は[[干支]]が同じ[[辛巳]]であり、「60年後の真珠湾攻撃」とも呼ばれた。2001年12月に開かれた真珠湾攻撃60周年のイベントでも、真珠湾攻撃とアメリカ同時多発テロ事件が一緒に言及された。
 
また、アメリカ同時多発テロの史跡は「[[グラウンド・ゼロ]]」と呼ばれているが、その由来となった[[日本への原子爆弾投下|原爆投下]]は、共に[[位取り記数法|記数法]]を変えると「[[新世紀]]」という点も近似する。アメリカ同時多発テロは[[十進法|十進数]]で「2001年」9月11日だが、原爆投下は[[六進法|六進数]]で「13001年」12月10日(広島)・12月13日(長崎)である。
 
アメリカ合衆国国内の世論は急速に先鋭化・[[超国家主義]]化したと言われ、[[新保守主義|ネオコン]](新保守主義)勢力が政治の世界で隆盛し、影響力を増大させた引き金ともなった。その後、アメリカ合衆国によるテロ支援国家への攻撃には国民の大半が賛同した。議会でも野党民主党が共和党の鷹派路線を容認する動きが目立った。事件直後、ブッシュ政権がアメリカ同時多発テロ事件へのイラクの関与をほのめかし、過剰なマスコミ報道によりそれが増幅された為に国民の間にイラクとサダム・フセインに対する敵意が増大し、2年後の[[イラク戦争]]の呼び水となったと言われる。その後、独立調査委員会の調査でイラクの関与が否定され、ブッシュ大統領自身もそれを認めたにも関わらず、2005年3月の世論調査では、米国民の約60%が「イラクはアルカイダを支援していたと思う」と答えている。