「チリ・クーデター」の版間の差分

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政権交代後にアジェンデが進めた性急な国有化政策や社会保障の拡大などの社会主義的な経済改革は、自由経済であるもののその規模が大きいわけではない当時のチリ経済の現状にそぐわないものであり、それが結果的にインフレと物不足を引き起こした、とする説は過去には聞かれた。とはいえ、アジェンデ政権が成立した当時のチリでは人口の40%が栄養不良の状態に放置され、医療も受けられない状態だったため、事態は一刻を争う状況にあった。また、銅山の国有化はチリ国会ひいてはチリ国民が決めたことであり、「アジェンデが進めた」のではなかった。さらに、国営化の範囲も社会保障の内容も1970年選挙の人民連合の綱領に明確に謳われており、チリ国民の信任を得ていた。実際のところ、物不足とインフレの原因は米国による金融封鎖および銅産業に対する妨害に起因する外貨不足にあったとする説が現在では圧倒的に優勢である。つまり、からなべデモやトラック所有者ストも含め、米国の[[リチャード・ニクソン]]政権が各種の経済攪乱工作を行い、それがチリ経済に大きな打撃を与えたと言うべきである。こうして、アジェンデ政権末期にはチリ経済は極度の混乱状態に陥るに至った。
 
しかしそれにもかかわらず、アジェンデ政権に対する国民の支持は低下していなかった。1973年3月の総選挙では、人民連合は43%の得票でさきの統一地方選よりは減ったが、依然として大統領選を上回る得票(7%増)で議席を増加させた(10議席増)。政権の座について2年以上を経過してから現職勢力が獲得した票の伸び率としては「前代未聞」と言われた<ref name=":0" />。この選挙結果を見た反アジェンデ派は、チリ国民が社会主義を渇望していることを再確認し、暴力と抑圧をもってチリ社会を根底から作り変えるしかないと、クーデターへ向けて決意を新たにした<ref name=":0" />。その意味とりわけ米国政府内皮肉なこの選挙をきっかけに、軍事的解決けに狙いを定めるべきとする勢力が勢いを増した。あるCIA職員は1973年4月、次のように論じた。「我々の理解しているところでは、今後6か月から1年の間に軍事クーデターを引き起こすことを狙った政策では、政治的緊張を高めるこ言えと、経済的な苦難をより深刻なものにすことに努めるべきです。特に、国民の絶望という感覚が軍を動かすためにも、下層階級の間での経済的苦難が必要です。政治的野党、特にキリスト教民主党が計画している大衆運動に対する資金援助は、この絶望という感覚を打ち消してしまい、経済を救う結果につながる可能性があります」<ref name=":0" />
 
しかし、大統領選の決選投票ではアジェンデ支持に回ったキリスト教民主党が、アメリカの[[ヘンリー・キッシンジャー]][[アメリカ合衆国国務長官|国務長官]]の意向を受けたCIAの働きかけで反アジェンデに転回したため、アジェンデ政権は窮地に追い込まれていく。