「チリ・クーデター」の版間の差分

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→‎アジェンデ大統領の任期中: ピノチェト就任の日付は重要
→‎アジェンデ大統領の任期中: 9月4日のアジェンデ支持でもについて
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[[1973年]][[6月29日]]には軍と反共勢力が首都サンティアゴの大統領官邸を襲撃するが失敗した({{仮リンク|タンキタソ|es|Tanquetazo|en|Tanquetazo|label=戦車クーデター}})。このクーデター未遂事件は、軍内部でクーデター派が勢力を増しつつある一方で、まだ機が熟していないことを示していた。そして8月、シュナイダー将軍の後任で、やはり「軍は政治的中立を守るべし」という信念の持ち主であった{{仮リンク|カルロス・プラッツ|en|Carlos Prats|es|Carlos Prats}}陸軍総司令官(その後国防相も兼任していた)が軍内部の反アジェンデ派に抗し切れなくなり辞任に追い込まれたことで、軍部のクーデターの動きに対する内堀が埋められた状態となる。プラッツの後任の陸軍総司令官がアウグスト・ピノチェトであった(8月24日就任)。ピノチェトはプラッツの推薦により陸軍総司令官に選任された。この段階では、アジェンデもプラッツもピノチェトを信頼していた<ref name=":0" />。
 
この時期にいたっても、チリ国民の間におけるアジェンデ人気は全く衰えていなかった。9月4日の人民連合3周年記念集会には約100万人のチリ国民が集結し、アジェンデ支持のデモ行進を行った。それは、チリ史上最多の参加者を集めたデモだった<ref name=":0" />。これを見たクーデター派は、クーデターを起こせば大規模な抵抗活動が起きると考え、徹底した弾圧が必要との認識を再確認した。
 
=== クーデター ===